Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~定年の解釈 ③~

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本日は過去2回に渡り記事を書かさせて頂いた「定年の解釈」を例の如く「自分目線・自分本位」で懲りずに書かさせて頂こうと思います^^「サラリーマン」であれば男女関係なく訪れる「定年」。会社や業界に残る年数・立場などの違いは有れど、そこは「遅かれ早かれ」。つまり定年後の収入・立場などの違いは多様にあれど「定年」というセレモニーは「会社員万人」に確実に訪れる訳です。その後の待遇や捉え方は異なれど虚しさの裏腹で、何処かほっとした感覚などがあるなど、凡そ同じ心境なのではないでしょうか。

       


さて、当ブログの「定年の解釈」簡単に初回と2回目のUP内容を振り返らせてください。
初回は家族・同僚・会社側、周囲が、ある種・認めてこそ初めて「定年が成り立つ」要は明確で正規の「自由人へのパスポート」を手にするには現役中に「何処まで出来たか?」が大きいのではないだろうか?という理想論も含めた内容を書かさせて頂きました。これは「理不尽」や「不条理」などとも如何に上手く付き合えたか?と言う事も入るでしょうね^^
そして同タイトル2回目の記事では、生き生きと定年後の生活を送られている、YouTubeチャンネル「camper hiro」さんのご紹介と「定年」を迎えると言う事は人生における未知の「第4コーナー」から「最後の直線」に入りゴールの仕方は人其々。と言った内容を書かさせて頂きました。そして今回3回目の今日は「定年における不安」を書いてみようと思います。要はサラリーマンの誰もが抱く「未知の世界・定年生活」について少々、深堀出来ればと思います。あくまでも個人の見解と発想に成りますのでご容赦願います^^


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昭和の「アトムの子」(鉄腕アトム世代)が「定年期」を迎える時期が訪れ、ついこの間まで「若いなぁ」「まだまだだなぁ」「甘いねぇ」などと老兵の先輩サラリーマンに叱咤激励を受けていたのに、気が付けば「自分達の番」が押し寄せてきたわけです。おそらく年代の方の「不安」「寂しさ」「もどかしさ」「期待」は皆、同じなのではないでしょうか?しかしながら「そりゃそうです」朝起きて、満員電車に乗り会社に行き、心身を摺減らし、押し寄せる理不尽と不条理を真向に受け一日を追える。そんなルーティンを繰り返して40数年前後を過ごしてきた人間がリセットされる訳ですから「次のステージ」がどの様なものなのか?差し詰め遊園地の「歩いて回る お化け屋敷」にでも入る心境でしょう。振返れば「40数年」と一言で表現したが、赤ん坊が40歳前後になるまでの時間です。考えてみるとものすごく長い道のりな訳です。当然、人其々なので生活感の異なり・温度差はあると思われますが「おそらく」を前提とした「定年不安要素」を幾つか挙げてみました。


         ① この先、毎日 何を軸に生活するのだろう
         ② 社会との糸は切れてしまうのだろうか
         ③ 年金だけで生活していけるのだろうか
         ④ 再就職先などあるのだろうか
         ⑤ 役職定年になって再雇用などしたくない


当然、「働いている事自体が生きがい」という方は①~⑤の「不安」というより次のワークステージによる「展開不安」になる事でしょう。しかし、それも永遠ではありません。いつの日か少なからず①~⑤の感覚を覚える事も無いとは言えないでしょうね^^要は人其々ですが、定年・引退に対して不安要素は言い出せばキリが無いと言う事ですね^^特に①が圧倒的に多いと言われてます。ここではザックリ5つ挙げてみましたが不安解決策とまでいきませんが、ピンポイントで考えられる一番の特効薬は「心の天秤」を用意して、今までの会社内における「責任の重圧」「休日も余計な業務の心配」「しがらみ」「顔色伺い」「お調子合せ」「ムダな飲み会」数えればキリのないマイナス要素がサラリーマンにはあります。ましてや「管理職者」「経営層」になればなおの事。この「嫌な埃・無駄な心労」を相対する「解放」という塊を「天秤」に掛けた時、如何なものだろうか?全てから解き放たれ「気にする事のない世界に行けるのだ」これは大きな収穫だと考えます。むしろ願ってもないチャンスな訳です。借金や生活費の為に継続して働くとしても凡そ現役時代の「圧」とは異なる仕事を選べばよいのでしょう。退職する前の不安など「即座に消える」とは言えませんが徐々に、その価値が向上し「何でもっと早く辞めなかったんだろう?」と…まで振返るとも言われてます。以前、TVのドキュメント系番組?で見たのですが、家族の為に働き蜂の如く勤め上げたお父さんの物語。退職するも何もする事もなく居場所すらなく家族から「斜めな目」で見られてしまう番組。まぁ専業主婦さんの妻側にとっては「お荷物」的目線も仕方ありません。今まで家に居ない人物が年中いる訳ですから確かに目の上のたんこぶ (笑) しかし、どうあれ30~40数年前後、外部で違う生活をしていた者にとっては「退職すると居場所がない」と言うのも少々理不尽で辛い話ですね。何も皆さん早く定年期を迎えたくて歳をとり、生活している訳ではないのですからねぇ^^おそらく「家族自体のスタイルも変化」の時期なのでしょうね。その辺は双方の「思いやり」の世界に成って来るのでしょう^^

                     


最後に成りますが当然、家庭毎に様々な問題を抱えているため手放しで「定年・自由万歳!」とは言えない方も多いと思われますが「定年にスポットして捉えた場合」以前の記事でも書かさせて頂きました「健康年齢(自由に好きな事が出来る体力・気力)」などを考慮したら一日でも早く「自由で好きな事・縛られない心身の獲得」を最優先に取り掛かる事が大切なのだと私は強く・固く考えています。その際は当然ですが自分成りの老後生活設計・貯えなども保持している事も「正規の自由人パスポート」を手にしている要素の一つに入っている事を付け加えたいと考えます。つまりは働く身の責任を果たし「現役をキチンとやった者の証」なのかもしれませんね。また、仮にも定年以降やる事が思い当たらなければ「特に何もしない生活スタイル」が徐々に構築されて違和感のない日常となり時間は微風の様に流れて行くのでしょう。つまり、アントニオ猪木さんの言葉「…迷わず行けよ、行けばわかるさ!」の精神ですね^^また「せめて自分が遊ぶ程度の金は稼ごう」と考えればその程度の仕事を流れに任せてやれば良いのだろうとも思う次第です。よく聞く話で「ハローワークは、ロクな仕事が無い」と言いますが選べばキリが無いのでしょうね。「清掃作業」「工事警備」「レストランの皿洗い」「人の車の洗車」「1人暮らし老人宅の雑草取り」「小学校の交通整理」「サンドイッチマン」「介護送迎運転手」…逆に言えば、今まで会社勤めで、やりたくても出来なかった仕事ばかりです。其々の中で「新しい人との出会い」などもあり、気ままに選ばす転々とやってみるのも刺激的かもしれません。「そこにある職をやる」と言った、ある種「老年フリーター」的発想も「ロシアンルーレット」的で面白いのではないかと思う次第です。もちろん働く以上「責任」は付物ですが会社管理職などの「責任」とは内容もカラーも異なります。合わなければ「次」の発想でもいいと捉えています。
           
             何しろ「自由」なのですから^^


   
           「重たい鞄おろして…」ですね^^


         本日もほうもんありがとうございました!