Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜就職と転職〜

こんにちは!

我々昭和の頃(1980年代)就職活動では「青田買い」という言葉が世に馳せていました。「水稲の成熟前に収穫量を見越して先買いする」つまり早い段階で高学歴の優秀な学生を会社に内定させて囲い込む内容だ。早い学生は夏休み頃には内定が出てましたね。仕事ができる・ 能力が高い・リーダーシップが取れる・先読みができる・そんな事は世に出なければ分からないが企業は取急ぎ「学歴」を最優先にした取り組みですね。つまりは「勉強出来るんだから優秀だろ…」という表面上の評価ですね^^まぁ現在もあると言えばある事柄。

         


さて、肝心の学生、いや新入社員諸君、いわゆる「Z世代」たる面々には、少々違った感情を持っているようだ。就職の条件となるのは「如何に自分の時間を多く取れる企業か?如何に高収入を得られるか?次のステージへ踏み台になり得る会社か否か?などなど。つまり「究極の合理性と高収入」が就職と言う名の「自分イベント」として捉えているようだ。昭和の頃の「良い会社に入れば一生安泰だ」てな発想はご法度。全てとは言わないが「嫌なら辞めればいい」と、いった発想が根底にあり、この発想は良いとも悪いとも言えない。なぜなら肌に合わぬ仕事を、あるいは企業に骨を埋める事ほどばかばかしい話は無い。しかしその裏を返すと「嫌ならやめていいのか?」と言った捉え方もある。新卒で22歳~25歳前後の若き諸君が人間関係や社会のルール、モラル、常識など全て具えているとは到底思えない。確かに学生時代からインターンシップなどを通じて企業とのつながりを持ったり既に幾つかの企業とやり取りを行いビジネスを展開し、成功している若者(学生)はいる。しかしそのような学生は一言で言えば「能力はもちろん、視野が広く展開力が多様にあり大人達と違和感なく渡り歩く柔軟性のある学生」である。一般的にはなかなか居ない学生である事も間違いではない。故に当り前だが「青田買い」を行い、その様な「大いなる可能性」を持ち具える学生を獲得すべくアクションを上場企業含め会社は「可能性を求めてイチかバチかの青田買い」行うのでしょう。

      


昨今の「Z世代会社員」は現会社・企業に所属しながら当たり前の様に「転職サイト」に登録をしていると言う。とある東証1部上場企業社長から聞いた話だが新入社員との交流の一環として「社長となんでも討論」というイベントを年に2回~3回行っていると言う。新入社員たちは悪びれる事もなく「当然の如く自然体」で社長に話すらしい「僕ら凡そ転職サイトに登録してますよ?」社長は言葉を無くすが作り笑顔で答えるらしい「そうかぁ~…と、言う事は良い話があれば転職すると言う事だね!そりゃ良い事だ。大いに当社を踏み台にしてくれ!ワッハハ!」と、ある種、今風の感覚を理解した経営者を装って見栄を張る。しかし社長は私に本音を語っていた。「時代は変わった」…確かに昭和の頃では考えられない発想と言動だ。昭和の頃、もちろんその様な発想の学生もいない訳ではなかったが当時は「やっと決まった会社なんだから60歳まで道は長いが在籍するのが当たり前、これで①シティホテル辺りで結婚式でもやって②子供でも作り③家でも買って④穏便に60歳を迎えて円満退職➄その先は悠々自適、年金で好きな事だけやって過ごそう…」的に捉える感覚がポピュラーだったように記憶する。(➄、年金発想からして杜撰にも崩れている 笑)しかしながら令和の今も定年後は「好きな事だけやって過ごそう」だけは共通の様だ (笑)


序に書き加えるならば「転職」という文字面だけで捉えると大きく2種があると考える。「会社が嫌になった・給料が割に合わない・上長と合わない」などの場合と「思い描く将来の目標を実現するための通過点・もうワンステージ上を見たい」などがあるのだろう。前者は至って少々ネガティブ。後者はポジティブに捉えるが、そこは人其々の感覚の違いだと思われます。Z世代全てとは言いませんが、昨今の若者の感覚はどちらとも言えない様な摩訶不思議な思いすら感じてしまう。入社早々に「転職サイト」に登録し「今より少しでもメリットがあれば職を変える」「オファーが無ければ継続」まぁ合理的と言えばそれまでだ。育った世代や環境が異なるとはいえ答えは何処にあるのやら。

          


長々と「就職・転職、今と昔」をなぞってみました。「就職・転職」に限らず本当に目まぐるしく時間は流れ時折、時代の流れを理解している様で実は大きく取り残されている自分に気づく事がある。まだまだ若いつもりで若者に接しても若者から見れば昭和の人間は「古い老年者」なのだ。そりゃそうだ。自分が30歳前後の頃に60前後の老年者に対してやることなす事「古いなぁ…」と感じていた訳だから(笑)つまり今更ながら私なりの答えはこうだ。


             昭和の我々・Z世代、共に保持している「思想・価値観」間違っている感覚ではない。
            その時代の「感覚」を、その時代の若者はなぞっているだけの事。

              時代・時代には、その都度のルールやマナーが発生する事に敏感になる事が重要だ。
                また時代が変わり車が空を飛ぶ時代には令和の発想は「骨董品」となるのだろう。

        
                                                         遅蒔きながら明確に見通せた気がした^^


    
    時代は変化して価値観が変われど、何処かに昭和のスピリッツは残してもらいたいものだ
             


            本日も訪問ありがとうございました