Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜麗しき昭和の頃 ⑫〜

こんにちわ!

毎回「〜麗しき昭和の頃 〜」に立ち寄り頂き、ブログサイト別に多くのコメントを頂き誠にありがとうございます^^本日も「雑だけど温かい時代・昭和」の部分を振返り特に同じ世代を生きて来たご同輩の皆さんと少しだけタイムスリップ出来ればと思います。お付合い頂ければ幸いです。尚、沸々と蘇る懐かしさが故、どうしても長文化しがちなので(笑)5項目構成を3項目構成に減らしご紹介できればと思います。よろしくお願いいたします^^


【街中華】
皆さんは小学校の頃の「外食」と言うと何を思い出されますか?当時はファミレスやロードサイドの飲食店などは在りませんでしたね^^年に数回の贅沢と言えば以前にもご紹介しました「デパート上層階の食堂レストラン」での洋食でした。「お母さんは着物・お父さんはジャケット姿・子供は白いタイツ」を履いて出かける事など年に数回。凡そ「家族で外食」と言えば「街中華」だったと思いませんか?^^店内に入ると真っ赤なカウンターと真っ赤なテーブル。背凭れと座も赤いクッションの椅子でした。テーブルにはソフトボール程度の球体に10円を入れてレバーを回転させる星座占い、記憶を辿れば「ピーナッツ」が適量出た記憶もあります^^換気扇は数十年の油がこびり付きプロペラが悲鳴を上げている。厨房では数十年は使っている大きなフライパンをもの凄い火力で餃子やチャーハンを作る年齢不詳の主人が不機嫌そうに調理をしている(笑)定番は「ラーメン・餃子・チャーハン」だ。ちょっと贅沢をする時などは「天津丼」などを頼んだ。店のおばちゃんが主人とは正反対に陽気にラーメンの器の中に親指を差し込みながら持ってきてくれる。割烹着は年季が入った頑固な汚れが染みついていた。どうでも良い事だが、私は今もラーメン餃子を頼むとラーメンの中に餃子を入れて食べるのが大好きだ。親からは「お行儀の悪い事よしなさい」など言われた記憶もあるが「街中華」で行儀もヘチマもある筈もない。今でも各町には昔ながらの「街中華」は存在するが当時の「街中華」とは何かが違う。何が違うのだろうか?それは「人」であると同時に「他人のぬくもり」なのかもしれない。

                 


【風 邪】
特に小学校時代でしたでしょうか?当時のは「感染症」などに対する「予防接種」など無い訳ではなかったが、今ほど頻繁に、正確に、医学的に、実施していなかったように思う。故に「感染症の嵐」だった様にも思う。「学級閉鎖」になると3日は休校になる。「やった!休みだ!」と思うと同時に自分も感染してダウンして結局は休まざる終えない状況(笑)
そして通常の風邪の場合は近所の友人が給食の「コッペパンとマーガリン」を届けてくれた。学校の元気な友人の姿を見ると何故か「あゝ今日は学校は楽しかったんだろうなぁ…」など取り残されたような淋しい気持ちになったものだ。逆に「微熱」があるときなどは「休みたいなぁ…熱が高ければ休めるのに…」と「心の中の悪い方の自分」が囁く。水銀の体温計で測り脇から出すと当時の私の平均体温は「36.0°~36.5°」検温結果は「37.0°」微熱。(因みに現在は平均36.8~37.0大人に成ると平均体温も変化する様だ)このまま「37.0°」を母に見せると昭和の母は「大丈夫よ。学校行けば治るから」何とも雑で根拠のない治療言葉だ。しかし、ここまでくると休みたい「悪い方の自分」が黙っていない。「もう一度測ってみる」と言い、母の居ない間に「水銀体温計」を布団に摩擦し水銀を上げる。(笑) しかし摩擦の具合など調整は出来ない。結果は「40°」だ。母に「やり直し」を告げられ3度目の検温で「36.8°」残念(笑)しかしながら母の言う「学校行けば治る」という雑な療法も強ち間違いでもなく、学校で友人と話したり暴れたりしてる内に自然と健康体に戻っていた様な記憶があります。「病は気から」この言葉は強ち間違いでもない様です。^^

                                 

【学校の水道】
健康話のついでに言い出すとキリの無い「昭和時代の学校衛生状況」にも少々触れておきたい。特に言えば水道だ。校庭にも廊下にも手洗い場があり水道の蛇口が「クルッ」と回転し水道水を飲んだり手洗いウガイなどに使用してました。大した消毒やフィルター機能などが施されていない水道水を運動の後などガブガブ飲んでいたのです。現在では飲料は禁止となっているとも聞きます。そういえば学校から帰るとお腹の調子が悪い事もありましたが「水を飲み過ぎたのかな?」程度に捉え学校の水道水を疑う事などありませんでした。「水の飲みすぎ」これも無い訳ではないが凡そ「水道水」に問題があったのかもしれませんね^^
話しは少々逸れますが、現在では手洗いの際は「ハンドソープ」という洒落たアイテムがあります。しかし昭和の学校では廊下の水場にもの凄く画期的なものがありました。それは「赤い網に入った黄色いレモン石鹸」が水道に、ぶる下がってましたよね^^今にして思えば、このアイディアはものすごいと思います。網の中に入れるだけで石鹸は出て来ない。網の摩擦を利用して泡立てが出来る。掌の汚れを網により洗い落とすことも可能。最後の最後で小さくなった石鹸に新品の石鹸を入れると「親亀・子亀」の様にくっつき子亀は自然となくなる(笑)無駄が無いですね^^友人の家に行くと自宅でも取入れていた家庭もあったようです^^話を戻して「昭和衛生状態」はお世辞にもよかったとは言えなかったでしょうね。チクロ(人口甘味料)や汚染水、工場公害問題など数え切れない体に害を及ぼす世の中でした。今では考えられない様な食品衛生管理の中、私たち「昭和の少年少女」は当たり前の様に「飲んで食べて舐めて」育ったわけですね^^個人私感ですが、逆に言えば「毒を持って毒を制す」現代のちょっとした細菌やウィルスなど跳ね返す「免疫」が出来ているのではないか?と勝手に感謝する事もありますね^^

                           


        「〜麗しき昭和の頃 ⑫〜」いかがでしたでしょうか?


書き込めば書き込む程、言葉が足りなく「あの時代」の匂いを完全に表現できないのが残念ですが言える事は、今にして思えば滑稽な事ばかりの「昭和の時代」は確実に存在しご同輩の皆さんを始めとした「昭和の戦士?」達は今、様々な時代の変化に戸惑いながら?スマホを眺める毎日なのかもしれませんね^^あの時代を生きて来れた事が幸せだったのか否か?それは人生の最後まで不明かも知れません。しかしハッキリ言えるのは「不幸せでは無かった」事は間違いないのではないでしょうか?いや、人其々なのかもしれません^^


     また機会があれば「〜麗しき昭和の頃 〜」書かさせて頂こうと思います。
         その際は是非、タイムマシンでご一緒しましょう^^ 
    「~桑田佳祐 「やさしい夜遊び」 投稿集~」の「昭和の…」も合わせてご覧頂ければ幸いです。


     
      「る~るるるる~♬」 このメロディーを聞くだけで幼き頃の風景が浮かびます^^


            訪問ありがとうございました。