Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~桑田佳祐 歌詞の世界 ⑱~

訪問ありがとうございます!

毎度、自己目線で恐縮ですが性懲りもなく「桑田佳祐 歌詞の世界 ⑱」を書いてみようと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが創る楽曲の歌詞に的を当て、少ない情報による背景や事実とと共に「個人的見解」重視で (笑) 歌詞の一説に触れてみたいと思いまして始めたシリーズになります。ファンの方は「あらためて」初見のかたや桑田さんに興味の無い方も斜め読み程度にお付き合い頂ければ幸いです。私が「昭和戦士?」なので今回も「比較的 初期作品」に触れてみたいと思います。紹介させて頂いています各楽曲をご存じの方・ご存じない方も、対象の楽曲を聴きながら読んで頂けると幸いです!^^
                     (ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)



【よどみ萎え、枯れて舞え】(アルバム:人気者で行こう)1984/07
「いつも心に 愛・倫・浮・気・症 逢えば深みにはまり」


タイトルだけ見ると楽曲メロディーがなかなか浮かばないアルバムの中に潜むマイナーソング。ここでは「楽曲の内容」の深堀、というより皆さんよくご存じの「桑田歌詞マジック」に的を当てます。内容は「不倫」を感じさせる楽曲。挙げさせて頂いた一文にある「愛倫浮気症(アイリンフーケショウ)」これを楽曲として聞いてみて下さい。まるで「英語」ですよね(笑) 桑田さんの楽曲では現在でもよく在りがちの「創作・日本語/英語」である。当り前だが英語と言ってもイントネーションだけで意味は通じる訳がない。しかし曲全体が醸し出す流れにカッコ良くハマっている。不倫=愛倫浮気症(アイリンフーケショウ)で外人にも通じると面白い(笑)


            

【Hello My Love】(アルバム:ステレオ太陽族)1981/07
「なぜかしら あなたが 泣いてるようなとき 心からいとしく思う」


前奏が始まると「あ!ステレオ太陽族だ!」と連想できる楽曲ですね^^「泣いている時」が嬉し泣きか?悲しみの泪か?これは何とも言えない。しかし「貴女の泪」が愛しくて仕方がない…つまり「愛する人の泪」というのは特別なもので「涙の意味」をも突き止めて喜びも悲しみも「分かち合いたい」と言う事なのだろう。「なれ合いのムードや、やせ我慢なんてものは穏やかじゃないだろ」とも触れている。信頼できる関係であれば丸裸で行きましょう!むしろその方が分かり易い」的な発想も浮かぶ。それを括って「Hello My Love」というタイトルなのだろうと想像している。



           

【タバコ・ロードにセクシーばあちゃん】(アルバム:タイニイ・バブルス)1980/03
「今にも泣きそうな Sexyばあちゃん あきらめず 耐えきれず (Oh Sexyばあちゃん)
          あまり無理をするほどには いかずとも じいちゃんに逢いたい yeah」


欧米の映画、アースキン・コールドウェル原作小説・映画「タバコ・ロード」を何やら意識したのか?アメリカノースカロライナのタバコ生産地をイメージされてのかは不明。
この楽曲は本当に90代の男女恋愛を描いたのか?将又、実は現代の恋愛事情にすり替えたのか?これはどちらとも取れる内容だ。意中の男性に何かの事情で逢う事が出来ずに「今にも泣きそうな表情」と共に「諦める事が出来ない」状況は青春期も老年期も同じなのだと言う事を赤裸々に表現している様にも感じます。つまり「歳はとっても気持や感覚は変わらないのだ」と言う事を表現しているようにも思われて「なるほど」と頷ける曲でもあります^^



                 

【星降る夜のHARLOT】(アルバム:綺麗)1983/07
「心もねじれた女には なりたかないけんど 場末のクラブで踊るチャチャ」


1980年初期~、日本では「ジャパゆきさん」という東南アジアの女性を迎え入れスナックなどでの不法労働などがありました。つまりは「フィリピンパブ」。彼女たちも日本で働き祖国の大人数家族家計を助ける為に労働していた方も多い事でしょう。しかし裏側では「不法滞在」などの組織犯罪も多くイメージは良くなかった事も事実。そんな「ジャパゆきさん」の心境を滲みだしているように捉えます。本当は祖国で家族や友人と「普通の生活がしたい」しかし「背に腹は代えられず日本でのクラブ勤め」卑しき日本文化すらも漂う楽曲だ。



                           

【君だけに夢をもう一度】
「さよならの理由(わけ)を知っている 流れ星が消えてゆく 孤独な夜が過ぎてゆく」


人は皆、大切な人を失って暫くすると「その人の重要性」に気づく事も少なくないという。
特に愛だの恋だの恋愛の中では「傍にいればいる程見えない」ものだサザンの楽曲では「逢いたくなった時に君はここに居ない」などが有名である。この楽曲も最愛の人とのすれ違いにより別れる事となり原因は自分にある。そして気が付けば孤独な夜を一人で過ごす様が非常にリアルに表現されているように捉えます。私は、この「さよならの理由(わけ)」とは「振り返ればすべて自分にある」と直結している様に感じます。人間は「今」大切なモノは凡そ見えず目の前から消えて初めて「必要性」を味わう哀れな動物なのかもしれません。




「桑田佳祐 歌詞の世界」
また機会があればご紹介させて頂ければと思います。
ご感想等、お聞かせ頂けると幸いです。