Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~価値観と常識~

こんにちわ!

今日は人それぞれが持つ「価値観」と生きて行く上での「常識」と言った面倒くさい事について記事を書いてみようと思います。以前に書かせて頂いた「理不尽」内容にも間接的には触れるものだと感じます。「価値観」は10人十色、本当に様々な「価値観」があると思います。極端に言えば生きている人達の数だけ「価値観」はあるのだと感じます。例の如く自己目線での意見・思想に成るのでご容赦頂ければ幸いです^^

      


さて「価値観」について身近なところで「芸能・タレント・アーチスト」で考えると私はブログタイトルを見て頂ければ一目瞭然。サザンオールスターズ・桑田佳祐さんのファンです。それは音楽的にも表面上かも知れませんがステージやTV画面などから伝わる「発想や感覚」みたいなものに強く共感する事が多く、もちろん桑田さん程素晴らしい能力等は私にはありませんが好むものや景色・環境・発想は非常に共感できるからです。しかし興味がない方は「全く」触る事も無いのでしょう。例えば「クラッシック一本」の方は「桑田?興味ないです」で終わります。(逆も同じ回答 笑)まぁ「好き嫌い」と言えばそれまでかもしれません。付け足せば「どちらに軍配」と言う事でもありません。これは広く言えば「生活環境」や「物事の見定め」「宗教的観点」など様々な広がりがある事なのでしょう。


特に少し前まで話題騒然であった「宗教視点」で考えるとテレビや報道を見る限り凡その視聴者は「どうしてこんな簡単な勧誘にスンナリハマってしまうんだろう?」と首を傾げる。私もその一人です。これは「価値観」と言うよりも「マインドコントロール」と言う言葉の方が適しているのでしょうね。しかし「マインドコントロール」により人間の「価値観」は変わるのでしょうか?変わるのでしょうね。「流行」なども「マインドコントロール」に似ている気もします。私は吸わないので偉そうには言えませんがタバコを吸う人は凡そ「喫煙時間・場所・タイミング」等がルーティン化されているそうです。朝出がけにベランダで‥駅までの一服‥会社に着いて‥昼食後にココで‥的に大枠の流れは決まると言います。これも一つの「一人マインドコントロール」なのではないでしょうか? 余談ですが喫煙者は禁煙する事に踏み出せない方が沢山いると聞きます。「体に悪い事は分かってるが無理をして辞めるのは精神的に良くない」など呪文の様に自己の中で植付け欲望には負けてしまうのかもしれません。いや、或いは本音かもしれませんが。まぁ、個人的には喫煙者も常識や法律・条例を遵守し人に迷惑を掛けなければ大いに喫煙頂くのは問題ないと捉えています。

       


薄っすらと「価値観」に触れましたが総じて「価値観」を個人個人が持つことは悪い事ではなくむしろ自然な事で自分の「好み」を大いに展開して行けばよいと言う事でしょうね。
しかし問題は背中合わせの「常識」です。この「常識」と言うのも厳密に言えば「価値観」の裏返しみたいなもので、滅多に見受けませんが葬儀に赤いシャツで出席する方がいたとしましょう。「私はこれが正装」と言えばそれまで。「黒が正装とはだれが決めたのか?」の勢いでしょう(笑) つまり「価値観」と言うのはそれぞれの中で自由に決める事が出来、その決めた事はその人の中では「常識」となる運び。その辺りから「ややこしい」話になっていきます。先ほどの「宗教感」に関しても、全てではありませんが「犯罪」などに至る心境も「各人の常識」の中で人は動いている事に成ります。「それでいいとだれが決めたんだ!」「なぜ赤シャツがダメなんだ!」「個人の思いを押し付けないでくれ!」などに抉れて行くのが「常識論歪み」の常です。考えてみれば仰る通りですね。法律でもない限り「常識」とは「凡その民衆がシックリいくもの」の定義でしかない訳で「正解」とは言い難い事も多くあると言う事でしょう。逆に言えば「凡その大衆がシックリ来ている」と言う点も大事な部分かと感じます。この「凡その大衆」に括れば「外れる人」は「異物」となり「斜め目線」になる運びなのでしょう。「長いものに巻かれろ」とは少々異なる内容ですが不本意ながら結果的には「長いものに巻かれていれば常識人」なのかもしれません。


        さて、最終的に何が言いたいかをまとめさせて頂きます。


自己の持つ「価値観」を「常識」と結び付けて行動する事は個人の自由と言う事に成ります。これは仮に大衆が「不愉快」であっても違法でない限り答えは「正論」になるのでしょう。しかし大切なのは「不愉快」を超えて「迷惑」の匂いの場合は個人の持つ「価値観・常識」は背筋を正さなければいけないと言う事なのでしょう。これは「長いものに巻かれろ」の理論ではなく「人に迷惑を掛けるな」という事が強調されるのだと思います。例えば前回記事を投稿させて頂いた「大人のマナー」にも精通するものがある様に感じます。例えば「歩きスマホは便利だから行う」「大型SSなどで床に寝転び泣き叫ぶ我子を大声で叱る。これはウチのやり方だから」と行った様に「自分は良いが他人が困る事・不快な事」を大いに意識しなければいけないと言う事でしょう。つまりは「人に見えない自己の価値観で他者に迷惑を掛けない」と言う事が必要なのでしょう。私自身も「世間の常識」で生活しているつもりですが知らぬうちに「自己の価値」で些細な事でも的を外している事もあるのだろう…と感じる今日この頃です^^自分の価値観や主張も大事ですが「人の迷惑顧みず やってきました電線マン(古)」(笑)には気を付けたいと思います!


     
           桑田さんもイライラしてる事が歌詞に現れてますね(笑)


            本日もありがとうございました!

~桑田佳祐 歌詞の世界 21~

訪問ありがとうございます!

毎度、自己目線で恐縮ですが性懲りもなく「桑田佳祐 歌詞の世界 21」を書いてみようと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが創る楽曲の歌詞に的を当て、少ない情報による背景や事実とと共に「個人的見解」重視で (笑) 歌詞の一説に触れてみたいと思いまして始めたシリーズになります。既に前回までに20回を数え100曲を提示させて頂き主に初期型の「心に残る大メジャー楽曲」はサザンを知る皆様にしては凡そ出ていると思われます。
ファンの方は「あらためて」初見のかたや桑田さんに興味の無い方も斜め読み程度にお付き合い頂ければ幸いです。私が「昭和戦士?」なので今回も「比較的 初期作品」に触れてみたいと思います。紹介させて頂いています各楽曲をご存じの方・ご存じない方も、対象の楽曲を聴きながら読んで頂けると幸いです!(ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)



【おいしいね~傑作物語】(SINGLE coupling:1988)
「おいしいね そりゃ見事だね ぐっと産業ロックの陽が昇る」


桑田さんが国や世間、企業などに物申す楽曲は幾つもある。その中の一つではないかと受け取ります。楽曲的には超有名な「みんなのうた(1988)」のカップリングだ。個人的な発想だが当時、桑田さんはソロでの活動に幅を広げたかった傾向があったのでは?と捉えます。しかし関係企業やプロダクションなどはサザンとしての活動に舵を取る様な傾向であったのではないだろうか?歌詞の中では「あやつり人形はやめられぬ裏切りと誘惑の花」と、いった皮肉めいた内容や「ちょいと業界不惑にけがれてる 売り込むためならば This song's about my actions」などの歌詞にも思いが窺える。では、サザン位のバンドに成れば独立して桑田さんが社長兼務で行ええばいかがか?これも想像するに桑田さんは余計な経営業務や気遣い?など面倒な事はせずに純粋に音楽に浸りたいのでは?解釈する。要は「金は対価で良い。好きな音楽に没頭したい」のではないだろうか?その辺も人を引き寄せるオーラの一つなのかもしれない。


       

【EMANON】(アルバム:綺麗1983/07)
「シャレた緑がお気に入り麗(うるわ)し Woman 二人で歩いた真夏のビーチ
                                                                             出来ることならあの日に帰りやり直すさ」


サザンオールスターズの楽曲で「夏の終わり」から「初秋」を意識した楽曲ですね。この手の楽曲は幾つかありますが代表的な楽曲と捉えても良いのではないでしょうか?蒼き時代にありがちの「真夏の海・出会い」そして夏が暮れて行き秋を迎える頃に「あの思いは何だったのだろう?」と振り返る。見えてる世界も真夏の頃とは異なり、つまりは現実の世界に入って行くのだろう。そんな思いが「心から大好きさ もう一度 お前に逢いたいよ」「可愛い花のよなお前は今、どこにいるのか」などでも伺いとれる。一方で「二人で歩いた真夏のビーチ 出来ることならあの日に帰りやり直すさ」などの言葉で「本当の愛」も感じ取れるが、これは「未練心の欠片」の様にも受け取れる。そして最後には「波の音には感じやすくて抱きしめたら おしゃれな吐息で受け入れてくれた女(ひと)」と締め括っているの所など「波の音」からすればやはり「真夏の一時の恋」が連想され、振り返れば砂埃の如く消え去ってしまう蒼き時を歌っている様にも感じた。また「EMANON」とは「ノーネイム(NO NAME)」の逆さ後であり「名前も知らない彼女」とも受け取る。まさに、ひと夏の海辺で出会った蒼き思い出の彼女なのだろう。若いエネルギーと同時に切なさを感じる楽曲だ。


               

【シャッポ】(SINGLE coupling:1982/10)
「月の明りで飛ばそうよ Seaside 歌いたくなるほど素晴らしい 
                           とびきり好みの店で Dancin'」


疲れなど微塵も感じない青春期に友人や恋人と好きなだけ好きな事を行っている様が楽曲の中から伝わる曲ですよね^^かの有名な「Ya Ya(あの時代を忘れない)1982」のカップリングとしてリリースしている。おそらく今までにTVやコンサートなどでも演奏した事のないレアな楽曲ではないでしょうか?まさに桑田さん地元の茅ヶ崎国道134号線「月の明りで飛ばそうよ Seaside」朝・昼の真夏の海岸線歌詞は在りがち。地元の方や近所の方々は別として、月の明かりと茅ヶ崎134号線などを経験した方は少ないのではないでしょうか?おそらく歌詞にもある様に「歌いたくなるほど素晴らしい」のではないでしょうか?そして敢えて英文での表現「That's because, that's because I love you more than you」=「僕はあなた以上にあなたの事を愛しています」とでも言えば良いのでしょうか?付き合い始めたばかりの男女で海岸線をドライブしてカップルで言えば最高潮の頃が思い浮かばれます^^さて、14年後の現在、この二人はどんな目線で令和の頃を迎えているのでしょうか?(笑)


                      

【JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)】(アルバム:人気者で行こう1984/07)
「湯女(ゆな)けむり 花魁下(おいらんか)に舞妓 常連風の某 寝ずの泊まり」


楽曲タイトル「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」この聞いたことのない単語はもちろん造語。「JAPAN 」+「REGGEA」=「JAPANEGGAE」と言う訳だ。桑田さんはこの楽曲のリリース時期に、にこんな言葉を残している「響きの歌詞」がほしいんだけど俺のボキャブラリーでは解決しない部分がある。そこで生み出した実際にはない「あて字」を発明して、俺は狂喜したんだけどね」(桑田佳祐「ロックの子」より抜粋)まぁ、言うまでもなく桑田ワールドは「和洋折衷」の楽曲が有名だが、更に言うなれば「古文調」的な表現?を採用し造語・単語を創り出し「浮世」の世界・状況表現を奏でている楽曲なのではないかと受け止める。他にも同アルバム内で「JAPANEGGAE」の次に収録されている「よどみ萎え枯れて舞え」でも同じような代表的な創作単語表現で「愛倫浮気症 (アイリン・ブーケ・ショウ)」がある。一言で「不倫」と語ればそれまで。しかしあまり爽やかでなく歪んだ愛の形・または病に等しい様を「愛倫浮気症」とあえて語るのだ。深い世界ですね^^


                               

【Please】(アルバム:kamakura 1985/09)
「君がくれた Flower 花言葉は“最後の I love you” 夏の恋は Power
                                                                                   夢を見てるよに ただ消滅哀愁 Blues」


タイトルの「Please」と聞いて「あの曲ね」とピンとくるファンの方も少ないかもしれない程のマイナー楽曲だ。とは言え個人的には初期の桑田さんのテイスト「感性の楽曲」という意味では代表曲的に捉えても良いのではないだろうか?おそらく彼女は最後に別れの言葉と共に「花」を贈り心の底では意図しない別れを告げたのかもしれない。そして彼は真夏の太陽と共に訪れる恋愛は体験した事もない程の体験したのだろう。つまり「真夏の恋愛は魔物」的な発想の様にも映る。そして物淋しい感情を「消滅哀愁 Blues」と言うワードで表現している。若い頃には日常茶飯事在りがちな蒼き体験であるといえよう。この内容を哀愁漂うbluesティスト仕上げで語る処もさすが桑田佳祐だ。また最後のフレーズを英語で「Let me tell you 'bout the story. Yesterday my babe's gone from me like a bird」つまり「昨日、僕の愛しい人は鳥の如く去ってしまった」と語り掛けているのだ。別れの状況が心に浮かぶ。そしてファンの方は当然気づいて居ると思うが楽曲のエンディングではエリック・クラプトン率いる「Cream」の「Sunshine of Your Love」の前奏を混ぜ込んでいる。話は逸れるが当時、文化祭と言えばこの楽曲や「ディープパープル」の「スモークオンザウォーター」「ブラックナイト」など高校生バンドの間では外せない洋楽ナンバーだった。「永遠の高校生バンドの魂」と言っても過言ではない楽曲だ。桑田さんの心にもしみ込んでいたのだろう^^
    



  今回も「桑田佳祐 歌詞の世界」お付き合い頂きましてありがとうございました。
  また機会があれば更新していきたいと思いますのでお付き合い頂ければ幸いです。


         

〜麗しき昭和の頃 ⑫〜

こんにちわ!

毎回「〜麗しき昭和の頃 〜」に立ち寄り頂き、ブログサイト別に多くのコメントを頂き誠にありがとうございます^^本日も「雑だけど温かい時代・昭和」の部分を振返り特に同じ世代を生きて来たご同輩の皆さんと少しだけタイムスリップ出来ればと思います。お付合い頂ければ幸いです。尚、沸々と蘇る懐かしさが故、どうしても長文化しがちなので(笑)5項目構成を3項目構成に減らしご紹介できればと思います。よろしくお願いいたします^^


【街中華】
皆さんは小学校の頃の「外食」と言うと何を思い出されますか?当時はファミレスやロードサイドの飲食店などは在りませんでしたね^^年に数回の贅沢と言えば以前にもご紹介しました「デパート上層階の食堂レストラン」での洋食でした。「お母さんは着物・お父さんはジャケット姿・子供は白いタイツ」を履いて出かける事など年に数回。凡そ「家族で外食」と言えば「街中華」だったと思いませんか?^^店内に入ると真っ赤なカウンターと真っ赤なテーブル。背凭れと座も赤いクッションの椅子でした。テーブルにはソフトボール程度の球体に10円を入れてレバーを回転させる星座占い、記憶を辿れば「ピーナッツ」が適量出た記憶もあります^^換気扇は数十年の油がこびり付きプロペラが悲鳴を上げている。厨房では数十年は使っている大きなフライパンをもの凄い火力で餃子やチャーハンを作る年齢不詳の主人が不機嫌そうに調理をしている(笑)定番は「ラーメン・餃子・チャーハン」だ。ちょっと贅沢をする時などは「天津丼」などを頼んだ。店のおばちゃんが主人とは正反対に陽気にラーメンの器の中に親指を差し込みながら持ってきてくれる。割烹着は年季が入った頑固な汚れが染みついていた。どうでも良い事だが、私は今もラーメン餃子を頼むとラーメンの中に餃子を入れて食べるのが大好きだ。親からは「お行儀の悪い事よしなさい」など言われた記憶もあるが「街中華」で行儀もヘチマもある筈もない。今でも各町には昔ながらの「街中華」は存在するが当時の「街中華」とは何かが違う。何が違うのだろうか?それは「人」であると同時に「他人のぬくもり」なのかもしれない。

                 


【風 邪】
特に小学校時代でしたでしょうか?当時のは「感染症」などに対する「予防接種」など無い訳ではなかったが、今ほど頻繁に、正確に、医学的に、実施していなかったように思う。故に「感染症の嵐」だった様にも思う。「学級閉鎖」になると3日は休校になる。「やった!休みだ!」と思うと同時に自分も感染してダウンして結局は休まざる終えない状況(笑)
そして通常の風邪の場合は近所の友人が給食の「コッペパンとマーガリン」を届けてくれた。学校の元気な友人の姿を見ると何故か「あゝ今日は学校は楽しかったんだろうなぁ…」など取り残されたような淋しい気持ちになったものだ。逆に「微熱」があるときなどは「休みたいなぁ…熱が高ければ休めるのに…」と「心の中の悪い方の自分」が囁く。水銀の体温計で測り脇から出すと当時の私の平均体温は「36.0°~36.5°」検温結果は「37.0°」微熱。(因みに現在は平均36.8~37.0大人に成ると平均体温も変化する様だ)このまま「37.0°」を母に見せると昭和の母は「大丈夫よ。学校行けば治るから」何とも雑で根拠のない治療言葉だ。しかし、ここまでくると休みたい「悪い方の自分」が黙っていない。「もう一度測ってみる」と言い、母の居ない間に「水銀体温計」を布団に摩擦し水銀を上げる。(笑) しかし摩擦の具合など調整は出来ない。結果は「40°」だ。母に「やり直し」を告げられ3度目の検温で「36.8°」残念(笑)しかしながら母の言う「学校行けば治る」という雑な療法も強ち間違いでもなく、学校で友人と話したり暴れたりしてる内に自然と健康体に戻っていた様な記憶があります。「病は気から」この言葉は強ち間違いでもない様です。^^

                                 

【学校の水道】
健康話のついでに言い出すとキリの無い「昭和時代の学校衛生状況」にも少々触れておきたい。特に言えば水道だ。校庭にも廊下にも手洗い場があり水道の蛇口が「クルッ」と回転し水道水を飲んだり手洗いウガイなどに使用してました。大した消毒やフィルター機能などが施されていない水道水を運動の後などガブガブ飲んでいたのです。現在では飲料は禁止となっているとも聞きます。そういえば学校から帰るとお腹の調子が悪い事もありましたが「水を飲み過ぎたのかな?」程度に捉え学校の水道水を疑う事などありませんでした。「水の飲みすぎ」これも無い訳ではないが凡そ「水道水」に問題があったのかもしれませんね^^
話しは少々逸れますが、現在では手洗いの際は「ハンドソープ」という洒落たアイテムがあります。しかし昭和の学校では廊下の水場にもの凄く画期的なものがありました。それは「赤い網に入った黄色いレモン石鹸」が水道に、ぶる下がってましたよね^^今にして思えば、このアイディアはものすごいと思います。網の中に入れるだけで石鹸は出て来ない。網の摩擦を利用して泡立てが出来る。掌の汚れを網により洗い落とすことも可能。最後の最後で小さくなった石鹸に新品の石鹸を入れると「親亀・子亀」の様にくっつき子亀は自然となくなる(笑)無駄が無いですね^^友人の家に行くと自宅でも取入れていた家庭もあったようです^^話を戻して「昭和衛生状態」はお世辞にもよかったとは言えなかったでしょうね。チクロ(人口甘味料)や汚染水、工場公害問題など数え切れない体に害を及ぼす世の中でした。今では考えられない様な食品衛生管理の中、私たち「昭和の少年少女」は当たり前の様に「飲んで食べて舐めて」育ったわけですね^^個人私感ですが、逆に言えば「毒を持って毒を制す」現代のちょっとした細菌やウィルスなど跳ね返す「免疫」が出来ているのではないか?と勝手に感謝する事もありますね^^

                           


        「〜麗しき昭和の頃 ⑫〜」いかがでしたでしょうか?


書き込めば書き込む程、言葉が足りなく「あの時代」の匂いを完全に表現できないのが残念ですが言える事は、今にして思えば滑稽な事ばかりの「昭和の時代」は確実に存在しご同輩の皆さんを始めとした「昭和の戦士?」達は今、様々な時代の変化に戸惑いながら?スマホを眺める毎日なのかもしれませんね^^あの時代を生きて来れた事が幸せだったのか否か?それは人生の最後まで不明かも知れません。しかしハッキリ言えるのは「不幸せでは無かった」事は間違いないのではないでしょうか?いや、人其々なのかもしれません^^


     また機会があれば「〜麗しき昭和の頃 〜」書かさせて頂こうと思います。
         その際は是非、タイムマシンでご一緒しましょう^^ 
    「~桑田佳祐 「やさしい夜遊び」 投稿集~」の「昭和の…」も合わせてご覧頂ければ幸いです。


     
      「る~るるるる~♬」 このメロディーを聞くだけで幼き頃の風景が浮かびます^^


            訪問ありがとうございました。