Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜麗しき昭和の頃 ⑬〜

こんにちわ!

今回は「麗しき昭和の頃 ⑬」を書かさせて頂きます。
古き良き時代「昭和」「雑だけど温かい時代」今回も幾つかのアイテムや走馬灯の如く浮き上がる思い出を上げてみたいと思います。ご同輩(昭和の鉄腕アトム世代?)^^に置かれては苦笑いしながら「あ~あったあった!」「今じゃ考えられないなぁ」など声を上げて頂き一時のタイムスリップにお付き合い頂ければ幸いです。


【洗濯機】
ご存じの方も多いと思いますが、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫は1950年代に「三種の神器」として名を馳せていました。特にその中の「洗濯機」は主婦にとってまさに名の通り神様的存在だったのでしょう。何と言っても昭和30年前後では「洗濯板」が少なからず活躍していた頃でしょう。洗濯物を山型が連続される板に乗せて「洗濯石鹸」で素手・真水にてゴシゴシとすり合わせて汚れを落とすアレです。そんな時世に浮上して来た「神の機械」なわけです。昭和の洗濯機は底にフリスビーの様な円盤が回転するだけのシンプルな構造。回転力も今の様な破壊力などなく、なだらかな「流れるプール」的な印象がありました。洗濯洗剤も「ニュービーズ」「ダイヤ」などの箱入りが主流で食べてしまいたい程、良い匂いがしていた事を覚えています(笑) そして何と言っても干す前に行う「しぼり作業」が当時の主婦には大変だったと思われます。特に冬の時期は辛かったでしょうね^^洗濯機初期の頃は皆さんご存知「しぼり機」が付いていました。ローラーが2つ一緒に回りハンドルを回す事で水を切り、洗濯物が「ペッタンコ」になり滑り出て来るアレです^^高価な機種では左側が洗濯機、右側には「脱水機」が据え付けられた機種が発売され「絞る手間」が大幅に省かれた事は主婦にとっては、これまた夢のような話では無かったのでしょうか?何しろ発売された当時は画期的でしたねぇ^^但し、脱水機を廻すと洗濯機が振動で揺れる程の勢いで、洗濯機が傍の壁にぶつかり賑やかだった事を思い出します(笑) 今や「全自動」でボタン一つ、乾燥まで終えてしまうなど当たり前の洗濯機。いやはや時代の流れには驚きですね^^

【冷蔵庫】
昭和の時代、洗濯機同様に「三種の神機」の1つ、冷蔵庫。
今でこそ冷蔵庫は当たり前の家電になり扉は「引出し化」され「野菜室」「冷凍室」などが別々の収納に別れインテリア的にもデザインされたものが主になっています。しかし昭和の1つ扉の冷蔵庫は、全体的には四角い白い箱ですが厳密に言えば少々角などが丸みを帯びた重厚な「金庫箱」などを彷彿とされるフォルムだった事を記憶します。内部構造と言えば
上部に「霜で覆われた部屋」があり、それこそが「冷凍室」でした。その「冷凍室」は子供には要注意。悪戯で掌を冷凍室の底部分に5秒くらい置くと軽く付着いてしまい焦った思い出があります(笑) そして氷は今の様にコンビニ「ロックアイス」など無く専用の「氷作り容器」に水を入れ数時間待ち凍ったらレバーを引きサイコロ状の氷を都度都度、飲み物に入れ使用していました。アイス菓子「シャービック」なども その容器で作った記憶があります。その後、「2ドア冷蔵庫」が発売され上段の扉が「冷凍室」と成り、分かり易くなった事を思い出します^^そして何と言ってもあこがれた冷蔵庫は「冷水の出る冷蔵庫」です。今にして思えば冷蔵庫内で容器に入った冷やした水をコップをレバーに押し当てポンプ式に出しているものなのですが当時は「すげー!冷たい水がいつでも飲める!」などと感動し友人宅に押し掛けたものです。当時は何に付けても「冷水」は子供にとって宝物の様に扱われたものだった気がします。「郵便局」「銀行」「駅」「百貨店」「新幹線」特に夏の頃に呑む冷水はたまらない贅沢なものだったのでしょう。皆さんも子供の頃やたらと「冷水」好きじゃありませんでしたか?^^

                                           

【扇風機】
昭和の夏の外気温は30°程度だった様に記憶します。つまり現在ほど熱くなかったのかもしれません。もちろん現在もエアコン併用で扇風機やサーキレーターなどは活躍していますが、当時「暑さ」と言えば扇風機が何しろ主流でした。夜も昼も「網戸」「すだれ」「うちわ」「風鈴」はセットの夏場の生活。「扇風機」は必需でした。状況的には、映画「男はつらいよ」で夏の暑い日に「とらや」の居間に隣の「タコ社長」が団扇をパタパタしながら「あ~暑いねぇ~もぉ~やんなっちゃうよ!」とボヤキながら扇風機の前に座るイメージですね^^また、銭湯などにある大型のものは大人の背丈ほどあり子供心に「こんなでかい扇風機、うちにあれば涼しいだろうなぁ…」などと冷えた「コーヒー牛乳」や「パンピーオレンジ」を飲みながら憧れたものでした。家庭用のポピュラーなものは「半透明ブルーの羽」に「弱・中・強」の切り替え「首振り」が特徴でした。特に夏の日に親戚など人が集まると必ず扇風機は活躍しどこの部屋でも引っ張りだこでしたね^^夏休みに親戚の家などに泊まりに行き、子供達が集まり大勢での就寝する際に「タイマー」をセットして寝る訳ですが夜中に目が覚めると真っ暗な中で黙々と首を振りながら「弱」の柔らかい音を立てながら静かに首を振り働いていて子供ながらに「自分が寝てる間も風を送ってくれてるんだなぁ…」などとショ~もない事を考えてみたり、明け方になると「タイマー」が切れたのでしょう、中途半端な位置で首が止まっている姿を見て「そりゃ疲れるよなぁ…」などと これまた、ショ~もない事を感じてました。(笑) ショ~もないついでに幼少期に稼働している扇風機に向かい「あ~~」と声を発した事ありませんか?ありますよね!^^声が震え「宇宙人」の様になり、面白がっていた事を思い出します(笑)  昭和の同年代多くに聞くと凡そ「あ~やったやった!」という反応^^。何だったのでしょうね?あの流行?は?(笑)

        


             如何でしたでしょうか?^^


幼き頃の「家電」は今の様に「デジタル」でも「AI」でもなく、便利と言えどどこかに「手作業」などが残るアイテムたちでしたね。それでも当時は便利極まりなく、日本中で活躍していた事は間違いありません。いまやスマホの遠隔操作で「留守の間に事が始まる」的な時代ですが、「首振り」が行き過ぎてカチカチ音を立てている扇風機、ドアを閉め忘れても「警告音」すら鳴らず生ものがダメになってしまう冷蔵庫、洗濯機のバスタオルが通らない「手動回転絞り機」なども、時に味があり人間らしくて良いのではないでしょうか?(笑)


     
   どの時代にも「子供スター」は居ました。幼少期、似ていると言われ嫌だった思い出があります(笑)


           本日も訪問頂きありがとうございました
     機会があれば「~麗しき昭和の頃~」書かせて頂こうと思います。


           ご意見、ご感想など頂けると幸いです^^

~桑田佳祐 「やさしい夜遊び」 投稿集2~

こんにちわ!

   

                   写真:桑田佳祐のやさしい夜遊び - TOKYO FM 80.0MHzより


今更ですが 私はサザンオールスターズ桑田佳祐さんの40数年来のファンです。以前も記事でご紹介させて頂きましたが長寿番組でもある桑田さんのレギュラーラジオ番組「やさしい夜遊び」を聞き続けると共に、主に桑田さんが大切にされている「昭和」をテーマに徹底し?(笑) 以前より私「島 耕作」が様々な投稿をさせて頂き(進行形)多く桑田さんやご同輩より共感も頂きました。特に「昭和」の ご同輩には男女問わず当ブログ記事で書かせて頂いています「~麗しき昭和の頃~ シリーズ」と共に目に止めて頂き一時のタイムマシンで「あの頃」に戻り懐かしさに華が咲けばと思います。過去投稿ネタは「採用・不採用」関係なくランダムにて ご紹介させて頂くと共に自己日記的にも残しておこうと思います。ブログ拝読頂いている方も、外から読んで頂いている方も、更には既に内容をラジオで何となく耳にされた方も、あらためて読んで頂ければ幸いです。またラジオ「やさしい夜遊び」を全く御存知ない方も是非「昭和の風に触れる気分で」お付き合い頂ければ幸いです。
※小野さん:桑田さん所属の「スピードスター・タイシタレーベル」のレーベル長、小野朗 氏(アシスタント)



1)昭和の頃はスポーツと言えば、プロレス、ボクシング、プロ野球が人気でした。現在のプロ野球選手に比べたら全てが違いますが当時はすごいあだ名が付いていたモノです^^


タイトル:【昭和のプロ野球選手】
桑田さん 小野さん こんばんは
昭和の「名プロレスラー」に続き「心に残るプロ野球選手」と「あだ名・ニックネーム」を挙げてみました。それぞれが実力ある素晴らしい選手だったことを記憶します。当時の活躍ぶりは桑田さん良くご存じと思います。この選手たち以外に桑田さん・小野さんの「心に残るプロ野球選手」いますか?


1,神様、仏様、稲尾様 稲尾和久(西鉄ライオンズ)
2,⒏時半の男 宮田征典(読売ジャイアンツ)
3,壁際の魔術師 高田繁(読売ジャイアンツ)
4,ケンカ投法 東尾修(西武ライオンズ)
5,炎のストッパー 津田恒実(広島カープ)
6,オリエンタルエクスプレス 郭泰源 (西鉄ライオンズ)
7,カリブの怪人 デストラーデ(西武ライオンズ)



2)ポールマッカートニーの単独来日の時は結構興奮しましたよね。ご多分に漏れず東京ドーム行きましたが小さすぎてよくわかりませんでした^^背が高かった事が印象的でした。


タイトル:【ポール日本初来日の時代背景 】
桑田さん、小野さん、こんばんは 
ポールは1990年にソロとして初めての日本公演を東京ドームで行ったわけですが、時は平成の夜明け時代、当時の流行モノ、来日アーチストの一部を振り返ってみました。


1,出来事: バブル経済破壊で株が暴落 第1回大学入試センター試験実施 
2,流行曲:真夏の果実 おどるポンポコリン さよなら人類  
3,邦 画:稲村ジェーン 天と地と 男はつらいよ(僕のおじさん)
4,洋 画:バックトゥーザ・フィーチャー(Part 2 Part 3)
5,流行語:アッシー君 おやじギャル 成田離婚
6,来日アーチスト:ローリング・ストーンズ デビットボーイ プリンス 
7,ビリージョエル ジャネットジャクソン(全て日本初公演)


  桑田さん 小野さんの当時はどんな事が印象に残っていますか?
  リクエストはローリングストーンズの「コングラッチレーション」お願いします!



3)昨今の若いパパママは我が子に言い聞かせる際、どの様な言葉を掛けているのだろう。
言葉より先に手が出ている事も珍しくなさそうですね~。昭和の頃は親父の手が出る前に前段で母親の毒針の様な「怒られ言語」がありましたよね(笑)


タイトル:【昭和の怒られ言語 】
桑田さん小野さんこんばんわ!
1500回突破 おめでとうございます!
これからも懲りずに「頼まれていませんシリーズ」の投稿続けさせて頂きます(笑)
先日、ショッピングモールで泣き叫び床に寝転ぶ幼児を前に両親が困り果てていました。
ふと、昭和の幼少期に自分が怒られてきた言葉をいくつか想い出しました。


1,あんたは橋の下で拾ってきた子なんだからわがまま言うと橋の下に返すよ!
2,嘘つくと閻魔さまに舌を抜かれるよ!
3,いう事聞かないと御飯あげないよ!
4,ご飯を残すと目がつぶれるからね!
5,(友人の家の事を例えに出すと)じゃぁ、その家の子になりなさい!


  桑田さんの幼少期、心に残る怒られ言語はありますか?


         

           本日も訪問ありがとうございました!
「~桑田佳祐 やさしい夜遊び 投稿集~」機会があれば また、ご紹介させてください。
           「島 耕作」の投稿は続きます ^^

〜就職と転職〜

こんにちは!

我々昭和の頃(1980年代)就職活動では「青田買い」という言葉が世に馳せていました。「水稲の成熟前に収穫量を見越して先買いする」つまり早い段階で高学歴の優秀な学生を会社に内定させて囲い込む内容だ。早い学生は夏休み頃には内定が出てましたね。仕事ができる・ 能力が高い・リーダーシップが取れる・先読みができる・そんな事は世に出なければ分からないが企業は取急ぎ「学歴」を最優先にした取り組みですね。つまりは「勉強出来るんだから優秀だろ…」という表面上の評価ですね^^まぁ現在もあると言えばある事柄。

         


さて、肝心の学生、いや新入社員諸君、いわゆる「Z世代」たる面々には、少々違った感情を持っているようだ。就職の条件となるのは「如何に自分の時間を多く取れる企業か?如何に高収入を得られるか?次のステージへ踏み台になり得る会社か否か?などなど。つまり「究極の合理性と高収入」が就職と言う名の「自分イベント」として捉えているようだ。昭和の頃の「良い会社に入れば一生安泰だ」てな発想はご法度。全てとは言わないが「嫌なら辞めればいい」と、いった発想が根底にあり、この発想は良いとも悪いとも言えない。なぜなら肌に合わぬ仕事を、あるいは企業に骨を埋める事ほどばかばかしい話は無い。しかしその裏を返すと「嫌ならやめていいのか?」と言った捉え方もある。新卒で22歳~25歳前後の若き諸君が人間関係や社会のルール、モラル、常識など全て具えているとは到底思えない。確かに学生時代からインターンシップなどを通じて企業とのつながりを持ったり既に幾つかの企業とやり取りを行いビジネスを展開し、成功している若者(学生)はいる。しかしそのような学生は一言で言えば「能力はもちろん、視野が広く展開力が多様にあり大人達と違和感なく渡り歩く柔軟性のある学生」である。一般的にはなかなか居ない学生である事も間違いではない。故に当り前だが「青田買い」を行い、その様な「大いなる可能性」を持ち具える学生を獲得すべくアクションを上場企業含め会社は「可能性を求めてイチかバチかの青田買い」行うのでしょう。

      


昨今の「Z世代会社員」は現会社・企業に所属しながら当たり前の様に「転職サイト」に登録をしていると言う。とある東証1部上場企業社長から聞いた話だが新入社員との交流の一環として「社長となんでも討論」というイベントを年に2回~3回行っていると言う。新入社員たちは悪びれる事もなく「当然の如く自然体」で社長に話すらしい「僕ら凡そ転職サイトに登録してますよ?」社長は言葉を無くすが作り笑顔で答えるらしい「そうかぁ~…と、言う事は良い話があれば転職すると言う事だね!そりゃ良い事だ。大いに当社を踏み台にしてくれ!ワッハハ!」と、ある種、今風の感覚を理解した経営者を装って見栄を張る。しかし社長は私に本音を語っていた。「時代は変わった」…確かに昭和の頃では考えられない発想と言動だ。昭和の頃、もちろんその様な発想の学生もいない訳ではなかったが当時は「やっと決まった会社なんだから60歳まで道は長いが在籍するのが当たり前、これで①シティホテル辺りで結婚式でもやって②子供でも作り③家でも買って④穏便に60歳を迎えて円満退職➄その先は悠々自適、年金で好きな事だけやって過ごそう…」的に捉える感覚がポピュラーだったように記憶する。(➄、年金発想からして杜撰にも崩れている 笑)しかしながら令和の今も定年後は「好きな事だけやって過ごそう」だけは共通の様だ (笑)


序に書き加えるならば「転職」という文字面だけで捉えると大きく2種があると考える。「会社が嫌になった・給料が割に合わない・上長と合わない」などの場合と「思い描く将来の目標を実現するための通過点・もうワンステージ上を見たい」などがあるのだろう。前者は至って少々ネガティブ。後者はポジティブに捉えるが、そこは人其々の感覚の違いだと思われます。Z世代全てとは言いませんが、昨今の若者の感覚はどちらとも言えない様な摩訶不思議な思いすら感じてしまう。入社早々に「転職サイト」に登録し「今より少しでもメリットがあれば職を変える」「オファーが無ければ継続」まぁ合理的と言えばそれまでだ。育った世代や環境が異なるとはいえ答えは何処にあるのやら。

          


長々と「就職・転職、今と昔」をなぞってみました。「就職・転職」に限らず本当に目まぐるしく時間は流れ時折、時代の流れを理解している様で実は大きく取り残されている自分に気づく事がある。まだまだ若いつもりで若者に接しても若者から見れば昭和の人間は「古い老年者」なのだ。そりゃそうだ。自分が30歳前後の頃に60前後の老年者に対してやることなす事「古いなぁ…」と感じていた訳だから(笑)つまり今更ながら私なりの答えはこうだ。


             昭和の我々・Z世代、共に保持している「思想・価値観」間違っている感覚ではない。
            その時代の「感覚」を、その時代の若者はなぞっているだけの事。

              時代・時代には、その都度のルールやマナーが発生する事に敏感になる事が重要だ。
                また時代が変わり車が空を飛ぶ時代には令和の発想は「骨董品」となるのだろう。

        
                                                         遅蒔きながら明確に見通せた気がした^^


    
    時代は変化して価値観が変われど、何処かに昭和のスピリッツは残してもらいたいものだ
             


            本日も訪問ありがとうございました