Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜麗しき昭和の頃⑧〜


こんにちは!

想い出せばキリの無い「麗しき昭和の頃⑧」を書かさせて頂きます。今回は「夏休み」にターゲットを絞り、書いてみました。エアコンなどなく網戸と扇風機、今では見ない麦わら帽子を被ったランニング姿の少年。そして夜は縁側で団扇を仰ぎ花火を見る時代。「昭和の戦士」のご同輩達は「同じ目線・同じ匂い」の中で過ごされ「雑だけど温かい時間」を今一度、一緒に振り返る事が出来ればと思います。是非最後までお付き合い頂ければ幸いです。


【夏休み朝のアニメ 】
特に、小学校時代の「夏休み」は朝も早い。6時から広場でのラジオ体操で1日が始まります。家に戻り、朝食を済ますと母親から決まりの文句が出ます「宿題は涼しいうちにやっちゃいなさいよ」この言葉は子供ながらに逃げたくなる言葉でした(笑 適当に勉強済まし10時位になると「夏休みマンガ大会」的なTV番組が全国?関東圏?では放映されてました。各番組の放映時期、年代は忘れましたが所謂、人気アニメなどの再放送ですね。「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「花のぴょんぴょん丸」「ジャイアントロボ」「悪魔くん(ドラマ版)」「河童の三平(ドラマ版)」などが、それぞれの年代で放映されていました。また外国アニメも他チャンネルで放映されていた記憶があります。「キングコング」「親指とトム」「スーパースリー」などだったと記憶しますが定かではありません。当時は外国の人気アニメだったのでしょう。とにかく普段学校に行っている時間帯に家でマンガを見られる充実感「あ〜夏休みはいいなぁ」と実感したものです。また昼の番組で「あなたの知らない世界」など心霊番組も見たくないが見てしまい夜寝られなかった思い出もあります(笑)

       

                     写真:東映アニメーションより
【夏休みの宿題 】
前項で触れた夏休みの母親による決め言葉「宿題は涼しいうちにやっちゃいなさいよ」これを言われると逃げる事が出来ず、いやいや机に向かう。宿題の「ドリル」や「漢字の書き取り」などを粛々と行う訳だ。中でも「絵日記」は難題であった。一応「思い出に残る出来事を書くべし」が宿題ルールだったと記憶するが、宿題のミソはそんなにユルユルなルールでは無かったように記憶する。なんなら絵日記帳は「毎日」的な感も醸し出していた。当然「まぁ、まだ8月頭だしお盆過ぎにまとめて書けばいいや…」などと自分に対して甘い誘惑を投げかける…大人になって身に染みている言葉がある。「今、面倒だから避けてやらない事を後になって苦労なく出来る訳がない」まさにその通りである。夏休み最後の1週間で「ドリル」「漢字書き取り」などは付焼刃で何とかなる。しかし「絵日記」は過ぎてしまった事ばかりなので思い浮かばないのだ。「採集もしていないカブトムシの捕獲日記」「微かに覚えている海水浴」「特別感の無い盆踊り」ページを稼げたのは「朝顔の成長」でした。また、お菓子の箱などを利用し「工作の宿題」で「ロボット」などを付焼刃で作り、学校に持って行く事が恥ずかしかった。「ロボット」のはずが出来てみると「象」にしか見えず題名を急遽変えた思い出もある。(笑)しかし新学期にクラスメイトが作った、自分より下手な作品を見て安心したものだ。上には上が居るなぁ…とシミジミ感じたものだ。

       


【きも試し 】
中学生での夏休みは少し「大人感覚」も入ってきますよね^^異性のクラスメイトと共に「プール」へ行ったり…プールと言っても「市営プール」入場料も100円程度。時間制限もあり2時間?位で次の時間帯チームと入れ替えと言う忙しさ。遊園地のプールともなれば中学生でも2000円前後は払わないと入れない状況でしたね。「流れるプール」「大滝スライダー(滑り台)」などに憧れたものでした。そんな男女クラスメートでの夏休みイベントの一つに「きも試し」がありました。「盆踊り」などに託けて夜の公園などに集合して男女がペアで「奥のブランコに乗って10回コイで戻って来る」など適当なルールを付けて2人づつで向かったものです^^もちろん即席カップルで「付き合ってるわけでも何でもないクラスメイト」な訳です。不思議な事によっぽど「的外れ」でない限り、2人で行動しだすと互いに「特別感覚」みたいなものが生まれた記憶があります(笑) そして時間差で前を歩くカップル女子の悲鳴や男子の「怖ぇ~…」の声が聞こえ来て、この上ない恐怖心に襲われるが隣にはクラスの女子がヘバリ付いている状態・更には「特別感覚」までも生まれている状態。「怖いから戻ろう」など言える由もありません。目を瞑りながら足元だけ見ていました^^色恋など微塵も分からない頃でしたが何やらドキドキした思い出があります。あの頃の「純粋で無垢な心」は何処へ…(笑)

                            

【花火大会】 
夏休みの夜を飾るのは何と言っても「花火大会」だ。どの地域でも間違いなく開催されてるのではないだろうか?小学校時代は花火大会に言った記憶はあまりない。やはり中学生の頃にクラスメイトと共に繰り出した思い出深いのかもしれない。中学生とは言え女子は仲間同士で話を合わせ「浴衣」を着込み、なんなら薄っすらと口紅までも引いている。いつもとは雰囲気が異なり目のやり場に困った事を思い出す(笑) まだ明るく暑さもほんのり残る夏の夕暮れ時、ゾロゾロと花火大会の会場に向かう人々は皆、提灯とウチワを手にパタパタと仰ぎながら会場へと向かう。昼間から「場所取り」などする方もいますが、一般的には会場に着かぬうちに打ち上げ花火が始まり、爆音がお腹の芯まで響いて来ました。また会場に行くまでに多くの出店が、我々を待ち構えている。発電機の音と裸電球の光の色が楽しさをいっそう引き立ててくれました。最後の打ち上げ、盛り上がりを見て帰宅の途につく訳だ。また来た時と同様にウチワパタパタで「民族の大移動」である。おそらく中学生の頃は「夜に外に出る」「夜に友達と会う」そんな事が特別で楽しかったのかも知れない。

         


【ラジオ体操】
最初の項でも触れましたが小学校時代の夏休みの朝は早かったですね。6時から近所の公園で行われる「ラジオ体操」が当り前でした。眠い目をこすり、これはどう言う訳か不明だが友人と行く事はなく「兄弟」で行く事が主だった記憶があります。おそらく朝早いので「遊び」のテンションが低かったのかもしれない。目的は言うまでもなく毎日の「参加スタンプ」でした。首からスタンプカードを紐で下げてラジオ体操後に町内の役員おじさんが居る所に並んでスタンプを貰いました。雨などでへ中止の場合は翌日スタンプを2日分に起こしてもらい、何やら得した気分になった記憶もあります。今にして思えば「皆勤」出来たと言う事は今の様な華やかな「家族旅行」や「レジャー」は縁遠く身近な処での夏休みを送っていたのだろう^^それが「普通」だったのかもしれない。そしていよいよ8月31日。夏休み最後の日。スタンプカードと交換に景品的なものを貰えました。ものはと言えば、何て事は無い鉛筆と大学ノート(「大学ノート」言い方、古いですか?笑)でした。最終的にもらうものがどうあれ、スタンプカードを埋めると言う作業が子供たちを夢中にさせたのだろう。つまり「スタンプラリー」と似て非なるものがあると感じた。昨今は「ラジオ体操」自体、夏休みの早朝にやっているのだろうか?今にして思えば、そのような団体行動も幼い頃にはとても大事なものなのだと痛感する次第です。

       


最後になりますが、夏休みと言うものは子供心に何とも言えない特別なものでした。項目で書き損じましたが、夏休みに入る前の終業式で「あゆみ(成績表)」をもらい、成績が上がっていれば翌日からはバラ色の夏休み。下がっていようものなら家に帰るのが嫌になるほど地獄を感じました。社会人の「お盆休み」の感覚とは大きく違い、夏休みは「自由の世界の扉」だったように記憶します。今の子供達も同じ感覚なのかどうか?分かりません(笑)


     
           ピンキラ!好きでしたねぇ^^考えてみれば一発屋?(笑)


         最後までお付き合いありがとうございました!
          記憶に残る当時の記憶はありましたか?^^


    機会があれば「〜麗しき昭和の頃 〜」また書かさせて頂こうと思います。
         ご意見ご感想など頂ければ揺れしく思います^^