Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~桑田佳祐 歌詞の世界 ⑦~

訪問ありがとうございます!

「桑田佳祐 歌詞の世界 ⑦」を書いてみようと思います。
サザンオールスターズの桑田佳祐さんが創る楽曲の歌詞に的を当て、少ない情報による背景や事実とと共に「個人的見解」重視で(笑)、歌詞の一説に触れてみたいと思い、始めたシリーズになります。ファンの方は「あらためて」初見のかたや桑田さんに興味の無い方も斜め読み程度にお付き合い頂ければ幸いです。まだまだ、今回も「比較的 初期作品」に触れてみたいと思います。改めて楽曲も聞きながら読んで頂けると幸いです。
(ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)


【今宵あなたに】(アルバム:熱い胸騒ぎ)1978/08
「寄る年波に恥じらいさえも忘れそうなほど凍てついた夜に間違いさえも起こしそうな夜」


ファーストアルバム、しかも最後にセットされている楽曲と言う事もありマイナーの中のマイナー作品の一説になります。年齢を重ねると男女問わず「恥じらい」や「謙虚さ」が削られ自己では気付かない「横柄」があからさまになると言われます。その先には「常識」や「モラル・ルール」をも超えて「その場の愛しみ」に走る事も間々ある傾向なのでしょうか?つまり「年齢を重ね、ある種マンネリ化した生活の中で、自己の淋しい気持ちや物足りない感覚を癒してくれる人へ特別な感情が生まれる」的な一説に受け取ります。これは50代~60代に限らず30代~40代にも十分に感じる勘定だと捉えます。


                 

【Bye Bye My Love(U are the one)】(SINGLE)1985/05
「波音は情事のゴスペル あの夏よ いずこへ  酔い覚めのヌードで今 誰かに抱かれてる」


ゴスペルは一人が軸になり歌い周囲が手拍子やステップなどを踏むなど、声を合わせて歌います。欧米において黒人の集会など(教会)で合唱している模様が浮かぶものです。神聖な気持ちで、ぼんやりと海を眺め思いにふけると愛しい人や大切な人の姿が思い浮かぶ。時に余計な心配をしたり大切なものを失うのではないかと不安に思う。そして「不安は現実のものとなる」とても悲しい内容にはなると捉えますね。特に「酔い覚めのヌードで今 誰かに抱かれてる」という表現など非常にリアルでモヤモヤする自己の感情を表しているようにも感じますね。愛情や信頼・繋がりが終焉を迎える時の何とも言えない感覚だと思います。


               

【Tarako】(SINGLE)1984/10
「Here comes a tear for my distant lover Pain's calling again 
                                                                     She's not home when I need to share my love」


サザンでは稀な全て英語の楽曲である。「自分の前から離れた彼女の事を考え想うと、私の心は疼き涙がでてしまう。逢いたいのに彼女には逢えない」ご存じの方も多いと思いますが「Taraco」の6年後にサザンの別の楽曲で「逢いたくなった時に君はここにいない」という切ない楽曲がある。内容的にはこの楽曲と似て非なる内容の様にも捉える。しかしながら「逢いたくなった時に君はここにいない」…何という切なく現実的なフレーズなのでしょう。つまり「幸せは形としては見えない」と言う事にも精通すると思います。何気ない毎日、何気ない会話、当たり前のパートナー、この様な「マンネリ」の中に「極上の幸せ」はあるのだと言う事を感じさせるフレーズですね。皆さんの日常はいかがですか?


                     

【Oh!クラウディア】(アルバム:NUDE MAN)1982/07
「思い出は心に 今もまだきらめくよ 何もかもアナタだけ Oh! Claudia 焦がれちゃう」


アルバム「NUDE MAN」は私の好きなアルバム上位に入ります。楽曲「Plastic Super Star」がフェイドアウトすると共にゆったりとした「Oh!クラウディア」が始まるという運び。おそらく「クラウディア」とは、ひと夏の良き思いを共にした女性に対してドラマ仕立てに想定した名前であり実在する人の名前ではないと捉えます。「一時の焦がれる思い」「若気の至り」は、少なからず誰にでもあるのではないだろうか?また表現の中で「焦がれる」というワードにも魅かれる。これは「恋焦がれる」を指すのだろうが、非常に染み渡る感覚が伝わります。まさに「心にしむ恋は今宵悲しく 一人でいるとなおのことだよ」です


                            

【旅姿六人衆】(アルバム:綺麗)1983/07
「華やかな者の影で 今 動く男たち Mr Suizuらが居てくれたら 今日も大丈夫」


桑田さんがファンや関係者に感謝を込めて作った楽曲。Mr Suizuとは、当時のステージディレクター水津雄二氏のことです。桑田さんの発想・言動は一貫しているようです。「自分は周囲に生かされている。特に裏舞台で縁の下の力持ちが居るから成り立っている。家族やメンバー、スタッフやファンあっての自分」アーチストにありがちの言葉である。しかし直近で行われた「2021 BIG MOUTH,NO GUTSツアー」DVDに「メイキング」が収録され、その中に何でもないワンシーンがある。とある会場のランチタイム。会場で用意した「出店」で関係者の昼食(ラーメン?)が用意されていた。スタッフの順番待ち列に混じり桑田さんも一人で一緒に並んでいる。桑田さん位になれば楽屋に運んでもらえばよい。当たり前と言えばそれまで。しかし少なからず彼ほどの立場で国民に対して発言力・影響力のある人が「大衆感」を滲ませているのだ。桑田さんの周囲ミュージシャンは日本では各人引っ張りだこのミュージシャン。サザンの仕事が嫌なら断っても十分食べていける。人は好きな事を継続・向上するなら一人では絶対に無理。人間力は、とても大事なのだとつくづく思う次第でした。


最後は少々ファン目線の記事にはなったが、引き目に見ても桑田さんの長年に渡る国内における活躍や知名度・日本音楽界への貢献などは「国民栄誉賞」にも値する活躍だと感じている。美空ひばりさんの様に「没後の亡き人への栄光」ではなく生きた栄光を差し上げたい。



「桑田佳祐 歌詞の世界」
また機会があればご紹介させて頂ければと思います。
本日もありがとうございました