Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~サザンオールスターズの すゝめ【初期】~

          
     2023年 新年あけましておめでとうございます。
 旧年中は、当ブログを訪問頂きコメント等頂くなど誠にありがとうございました。
    何とも拙い自己満足記事の多いブログですが本年もお付き合い頂ければ幸いです。



イラスト:みやこ金助 さん


今日は年末最後のブログでも書き残させて頂きましたが「サザンオールスターズのすゝめ」と題しデビューから数年が過ぎても色褪せない魅力を「自己目線」には成りますが ご紹介できればと思います。同様の記事は あちこちのファンホームページ、ブログ記事などで散々掲載されていますが「歴史の振り返り」「私が想いを寄せるツボや感覚」をザックリ【初期】【中期】【後期】の3部に分け不定期(長い目で(笑))で ご紹介させて頂ければと思います。【後期】は現在サザンは進行中ですが括りとして記事にしてみたいと思います。例の如くファンの方は あらためて「あ~あるる!あったあった!」的に共感頂き^^全く興味の無い方も「サザンの魅力」をご紹介し、今からでも間に合う「サザンファンへの道?」をご紹介できればと思います^^ぜひ「斜め読み程度に」お付合い頂ければ幸です。
          

      

                    写真:ビクターエンタテインメント ポスターより


【初 期】1978~1993
青山学院大学の音楽サークルから産声を上げたサザンオールスターズは、1978年6月25日にメジャーデビューし、今年で45周年となる日本を代表する伝説的ロックバンドです。
デビュー当時(1978年8月31日)TBSの人気歌番組「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」のコーナーで「ライブハウス・新宿ロフト」からの初出演。メンバーはジョギング用の短パン姿。桑田さんは上半身裸でギターを弾いて出演。この有名な「ジョギパン」は事務所から「衣装を用意しなさい」と現金を渡されたが「買える衣装があれしかなかった」と桑田さんは語っていた事を耳にしました(笑) そして超満員の観客は大ノリで初めて聞く「勝手にシンドバット」に酔いしれた。後に桑田さん曰く「ファンが少ない時代なのであの時の観客は他のアーチストのファンだったんですよ」と暴露 (笑) 何にせよ、これを皮切りに伝説のバンドはバブルの兆しが見え始めた日本に旋風を巻き起こしたわけですね。


「勝手にシンドバット」曲名の由来は沢田研二さん「勝手にしやがれ」+ピンクレディー「渚のシンドバット」を故志村けんさんが番組内でネタとして披露していた事が挙げられている。またジョンレノンが軽井沢に訪れた際、喫茶店で流れる『勝手にシンドバット』の『ラーララーララララーラーラー』に反応し口ずさんだと言う記事も掲載されていたとか。


              

             写真:サザンオールスターズ Official Siteより


しかし、この時点で世間は「どうせ一過性のブーム」来年には「あの人は今」の番組に出てくるだろう…との噂が絶えなかった事を記憶します。実際、「勝手にシンドバット」次のシングル「 気分しだいで責めないで」では今一つの評判だった様に記憶します。そして1979年、デビュー3曲目にして「いとしのエリー」が16週以上ベストテン入りするなどの大ヒットとなり事実上、この時点からサザンの快進撃が始まるわけです。ちなみに「エリー」とは桑田さんの実姉である故岩本えり子さんがモデルであるとも聞いています。1978年には、記念すべきデビューコンサートツアー「熱い胸騒ぎ」が全国9か所でスタート。ちなみに動員数は1万8千人…現在はドームツアーを行うと数十万人。驚きですね。


1979年は、ご同輩には懐かしい「深夜放送ブーム」真っ盛りの頃です。桑田さん単独で「オールナイトニッポン木曜1部」を初めて担当されました。そして、その年末には初の紅白歌合戦に出場。唄うは名曲「いとしのエリー」でした。1980年の年初から6か月間の「充電期間」に入訳ですがこの後にリリースされるアルバム「タイニーバブルス」が長期安泰型バンドに仕立てたようにも思います。「涙のアベニュー」「C長言葉にご用心」「タバコロードのセクシーばあちゃん」などファンが走りとなる楽曲が生み出されたと捉える。
山下達郎さんの「夏だ!海だ達郎だ!」と共に「湘南・海・サザン」が国内を揺らしたのもこの頃かと思います。また、この年の年末には「ゆく年くる年」コンサートを開催し、後のサザン恒例「年越しライブ」の走りとなる訳です。1981年、奥様 原由子さんの記念すべき初ソロアルバム「はらゆうこが語るひととき」が発売されました。原宿にて突然のライブ。挿入曲「I LOVE YOU はひとりごと」の歌詞が猥褻だという理由で放送禁止になり抗議も込めた開催だったとか。サザンメンバーと関係者で実行したとの事。「表現の自由」を大切にしている桑田さん的にも歯がゆい出来事であったと思われますね。当時の時代背景も伺われる。後に作られる「マンピーのGスポット」は猥褻に触れる事もなく継続中(笑) 
「良いモノは良い!桑田楽曲は世間のご意見番も黙らせた」と私は勝手に評価している^^


             

                写真:サザンオールスターズ Official Siteより


その翌年1982年に桑田夫妻はめでたく結婚するのです。その際にファンクラブ会員全員宛に桑田さん原さん連名での披露宴招待状が送られたそうです。結婚式に出席したファンには引出物としてメッセージレコードが渡されたとの事です。当時はまだまだ会員もさほど多くなかったのかと思われます。この頃からファンを大事にする桑田マインドが出ている訳です。


そして、年末には、これも伝説。私の記事でもご紹介した「嘉門雄三& Victor Wheels」が渋谷のライブハウス「エッグマン」にて行われた。嘉門は Come on!!! から「雄三」は尊敬する「加山雄三」さんから取っている名前。いかにも桑田さんらしいネーミングである。


1983年には、またまた「伝説」の青春ドラマ「ふぞろいの林檎たち」が放映され挿入歌にはサザンオールスターズの楽曲メインで流れ、当時の若者は釘付けになった。当時はホームビデオの走り時期で一般化されず放映時間に急いで帰り楽しみに見たものです^^その後「1997年 Part IV まで作られ放映されサザンメロディーと共に若者の心を捉えたと言える。


         

                              写真:TBSチャンネル より


1985年にはセネガルのグループ、トゥレ・クンダとジョイントコンサートツ「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズ AVEC トウレ・クンダ」スタート。アフリカ音楽と桑田音楽が融合し、とても素晴らしい内容だったと記憶します。桑田さんがアフリカに訪問してトゥレ・クンダメンバーと友好を図るTV特番も組まれドキュメンタリー番組が組まれていた事を思い出します。同年、サザン同様に当時の若者に人気があったのが佐野元春さん。昨今言わずと知れた「時代遅れのrock 'n' rollband」で共演もされている。この年、6月に代々木国立競技場で開催されたの佐野元春さんのステージにサザンが参加し貴重なコンサートとなった。BEATLESなどを含めジョイントし、中でも1番印象深いのはサザンの「夕方 HOLD ON ME」を一緒に歌うシーンは貴重。【YouTube 動画あり】


1986年には桑田さんが軸になり「KUWATA BAND」の結成になります。 メンバーは、桑田佳祐(vo)、松田弘(ds)、今野多久郎(perc)、河内淳一(g)、琢磨仁(b)、小島良喜(kb) 一流処が名を連ねました。「BANBANBAN」「スキップビート」「MERRY X'MAS IN SUMMER」などのヒット曲を世に出し、ファンの方はお分かりの伝説中の伝説TV番組「メリークリスマスショー」放送。忌野清志郎、松任谷由実、氷室京介、アン・ルイス等、が共演して話題に。洋楽や邦楽を桑田さんプロでユースで作り上げた番組でKUWATA BANDとしても出演をした。


     


1988年には「いつか何処かで」などのヒット曲を含め桑田さん初のソロアルバ「KEISUKE KUWATA」リリースした。このアルバムにはユニクロCMでもおなじみ、個人的にも大好きな「遠い街角」が収められていて大好きなアルバムである。また翌年にはベストアルバム「すいか」を発売。初期リリースの聴きなれた楽曲CD4枚と男性用トランクス・女性ものパンティが入った「缶モノ」で、現在ではプレミアもついている。ベスト盤と言えば他にも「バラッド」「happy」「海のYeah!!」などのベストも発売されているが、個人的にも「スイカ」に勝るモノは無いと思います。三ツ矢サイダーCMの「青い空の心(No me?More no!)」など涙モノです。


                

                写真:サザンオールスターズ Official Siteより


1990年には「真夏の果実」でお馴染み桑田佳祐初の映画監督作品「稲村ジェーン」が公開。日劇東宝の動員記録を塗り替えたとの事。この映画は昔上映された「ビックウェンズデー」を意識しているようにも思えた。湘南は「稲村ケ崎」を舞台に繰り広げられる「サーフィン映画」である。2021/04にはリマスタリングされ所属事務所アミューズよりリリースとなった。「暑かったけど、短かったよね・・・夏」のワードが心に残る作品だ。そして当時までのサザンのヒットナンバーをメドレー化した「江ノ島」が「Z団」なる関係集団にて発売。「ディスコ」の名残がある日本中の若者に「アップテンポのサザンメドレー」は新鮮であると同時に刺激的であった。「希望の轍」のつなぎの部分など気持ちも高揚する部分である。             

                                         

                                                      写真:サザンオールスターズ Official Siteより


ちなみに「Z団」なんて昭和の悪党集団名称、桑田さんしか考えつかない(笑) 
また「Act Against AIDS '93」に桑田佳祐参加。ここから恒例の桑田さんソロ活動「Act Against AIDS」がパシフィコ横浜国立大ホールを中心に開催されてきたわけです。最近の有名処では「一人紅白歌合戦」などがありますね。2014年の初回時は昭和のヒット歌謡を中心に1人で55曲を歌いきり世間を驚かせた。「傷だらけのローラ」など鳥肌が立つほどの熱唱ぶりである。この話題は改めて【中期】の方でもご紹介させてください。また1995年には「桑田佳祐 やさしい夜遊び」がスタートし、現在も継続中である。サザンメンバー含め様々な関係者によるファンには内容の濃い番組である。              
               


               如何でしたでしょうか?


「サザンオールスターズのすゝめ【初期】」として1978年頃~1994年頃までの歴史と振り返りを書いてみました。まだまだ書き尽くせない様々な時代背景や私の感想などはありますが本当に凝縮して書き残させて頂きました。引き続き【中期】【後期】と言った内容にも触れさせて頂ければと思いますので、その際は是非!お付き合い頂ければ幸いです。


最後になりますが冒頭の桑田さんイラストですが、似顔絵を中心にされているブロガーさん「みやこ金助さん」の作品になります。私の好きな「鉛筆タッチ」で「ルパン三世」などでお馴染み「モンキーパンチ」さんのタッチによく似ていて大好きです。ご本人にお願いさせて頂き今回、入れさせて頂きました。みやこ金助さん、ありがとうございます!^^皆さんも是非、ブログ訪問されてみて下さい^^
     



本日もありがとうございました!



【初 期】1978~1993
【中 期】1994~2009
【後 期】2010~2022