Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~来たぞ!我等のウルトラマン~

訪問ありがとうございます!

日本全国で誰もが知る「ウルトラマン」について、その魅力と記憶について書いてみます。
昨今、「シンウルトラマン」などの公開も行われており半世紀以上の月日が経過しても「衰え」を感じさせない作品・シリーズと言う事に成る。ここでは現在に至る「ウルトラマンシリーズ」ではなく「初代」に拘り書いてみようと思います。


初代「ウルトラマン」は1966年~1967年の1年間放映された「円谷プロダクション」によるいわゆる「特撮シリーズ」が世に出て来た頃の代表作の一つでもあるでしょう。地球上の怪獣出現・超常現象に対して「科学特捜隊」が立向うが手に負えず地球上で姿を借りる「ハヤタ隊員」が変身し「ウルトラマン」が登場し3分以内にカッコよく怪獣を仕留める…
という単純明快なストーリーだが日本の高度成長期の少年たちは見たことのないシルバーと赤、そして胸に光る「カラータイマー」に魅了されたわけです。特に登場の際に流れる効果音と共に登場するシーンは今でも鮮明に蘇ってきます。写真は都内の「LOFT」に行った際に「シンウルトラマン」の催し物をやっていたので、その特別な「登場シーン」が描かれた「メモ帳」を買ってしまいました。この気持、ご同輩男子は理解して頂けるかと。(笑) 


         まさに、少年心がトキメいたのは、このシーンです。


       


当時の番組制作グレードはお世辞にも「完璧」とはいえず明らかに「花火でしょう」と言う爆発シーンや、壊されて行く街並みも明らかな「ジオラマ」である事は明確で、ウルトラマンと怪獣の「空中戦」の時などは明らかな「テグス」で吊るされている様が画面に映ったが当時の少年たちは、そんな事はどうでもよく 唯々、ウルトラマンのカッコ良さに酔いしれたものでした。昨今の「ウルトラマンシリーズ」は拝見してませんがデジタル化や映像技術などの発達も手伝いかなりの仕上がり具合なのだろうと想像します。故に昨今の少年たちの感動と私世代の貴兄が感動した毛色は全く違うもののようにも感じます。とにかく当時の小学校あたりでは男子の注目の的であり運動靴やら靴入れ、水筒・弁当箱・筆箱・バッジ・などを身に着けて「ウルトラ小僧」が群れを成し「ゴッコ」をしていた事を記憶します。
とにかく大人も子供も特に男子世界では「時代の的」であった事は間違いないでしょう。 

    

                                   写真:円谷プロダクションHPより


さて、どの世界でも「創設者」は、もの凄い方々がいらっしゃいます。
松下 幸之助氏・スティーブジョブス氏・豊田喜一郎氏…皆さんの共通点は「好きこそモノの上手なれ」です。皆さん「頭がいい」「切れる人」と言ってしまえばそのままですが、
この方々は全て「現場の人」なのです。つまり自分で発想・発案し「自分で手を動かさなくては気が済まない人」たちだと思います。故に裏付けもあり説得力や有効性の強調も外に対して伝わるのでしょう。まぁ、部下や周囲はえらい大変だったと思いますが…苦笑


ウルトラマンの「円谷プロダクション」創設者は「特撮の神様」円谷英二さんですが、青年時代には操縦士を夢見て日本飛行学校へ入学され、後には玩具会社に入社し様々な玩具や商品の発明・新案で活躍した後に戦争勃発などの大変な時世を乗り越え、特撮を中心とした
映画界~テレビ界へと進出し活躍されていたとの事です。まさに一言では言切れないほどの知恵と発想・発明・努力で「円谷プロダクション」を築いて来られたのだと思います。
そして斬新な発想、演出、ストーリーなど活躍されていた頃から既に60年前後の時が流れています。「もしも」現代に円谷英二さんが居たら、この発達したデジタル・映像技術などを駆使して、どの様な作品を作ったか?考えただけでもワクワクしますね。まぁ「特撮業界」だけでなく既に亡くなられた凄い発明者・先駆者すべてに言える事かと思います。ステーブジョブス氏・松下幸之助氏・豊田喜一郎氏が生きていたら、コロナやウクライナ問題などをどの様に捉え何か奇想天外な事を発想し、貢献してくれていた様にも想像してしまいます。


何にせよ最近の「新型コロナ問題」「隣国ミサイル問題」「ウクライナ闘争」などで息を抜けない世の中「ウルトラマンよ!スグに来て今こそ世界の為に立ち上がってくれ!」^^


本日も訪問ありがとうございました!