Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~令和の佐野元春~

こんにちは!

         先日久しぶりに見応えのある対談番組を見た。


爆笑問題、太田光氏による都内にある「図鑑カフェ CAFE ZU」を舞台に行われる「テレビの向こう側」だ。ゲストは佐野元春。ファンであれば、この話題に触れるのは必然である。いつの時代もカッコよく知的な元春だが、あらためて現代のニーズに自分と音楽を融合させている姿に感銘を受けた。当り前の話だが「生き残るミュージシャン」「錆びないミュージシャン」は常に時代背景と共に自分をカメレオンの如く変化させ続け年代の枠を超えて特別なオーラを放ち「憧れ」や「尊敬」を常に背中に受けているのだと感じた。それは年齢からくる「貫禄」とは大きく異なり人間性から来るのであろう柔軟性が大きく作用し周囲の心を釘付けにするのだろう。同時に自己が「若くあり続ける」秘訣なのかもしれない。

      

                   写真:BSフジ - BSデジタル放送8ch より


太田 光氏は漫才コンビ「爆笑問題」で世に名を馳せた天才だ。毒舌や破天荒が売りだが一個人に戻れば物静かな読書好きの方である。我々庶民はメディアで登場するタレントを見た目で判断する。時に一般大衆は、テレビの中での行動を「その人」と断定する事も少なく無い。裏を返せばそれも当然・致し方ない事だ。政治界の面々にも容赦はしない。庶民が素朴に想う「現実」を真向からぶつける訳だ。敵も多いだろう。しかし彼は「天才」に違いはない。その証は売れ続けている事。また大御所作家やアーチストとも信頼関係がある様だ。現に桑田佳祐氏とも深い親交がある。新曲や日常の出来事がある度に互いにメール送信を行うなど親しく桑田さんは太田氏を「兄貴」と呼ぶほどの仲である。つまり一般大衆には見えないが「業界」は彼の才能を認めていると言う事が言えるのでは無いだろうか?所謂「うるさい」「毒舌」「理屈っぽい」を「仕事」として割切り姿勢を貫く彼を私は応援したい。


     
              クリック→ 佐野元春さん - YouTube


そんな太田氏はサザンオールスターズ・佐野元春世代のど真ん中世代だ。つまりこの番組は「一ファンの彼が憧れの佐野元春に一対一でインタビューを行う夢の様な番組」な訳だ。会話の中で元春があるワードを口にする「街に暮らしてると…」すると太田氏はすかさず元春の楽曲「マンハッタンブリッジでたたずんで」を取り出す。この楽曲は元春ファンはもちろん、ご同輩ならば耳に入れば懐かしい響として当時を思い出すであろう1982年リリースアルバム「Niagara  triangle2」収録である、元春にしては少々マイナー楽曲だ。しかし私も今だによく聞く大好きな楽曲である。そんな点からも太田氏は学生時代から隅々まで「佐野元春」に浸っていた事が伝わる。何にしても憧れの人を前にする恥じらいが画面からあふれていた。太田氏の心境を元春ファンは、この様に捉えるのもいいかもしれない。


  「サムディを聴き共に1980年代から歩んできた元春が目の前で自分と対談している」


まさに夢心地だった事だろう。私はそんな感覚を抱き太田氏を自分に当て嵌めて番組を食い入る様に見ていた^^そんな中で太田氏が一ファンに戻り元春に投げかけた印象的な語りかけがある。元春のみならず「錆びないアーチスト」全てに投げかけたい質問だ。


     「どんな音楽を聴き込んでいるとあんな音楽が生まれてくるんだろう?」


まさに歌謡曲や演歌しかなかった昭和の若者(1980年代)たちが虜になった「シティポップ」だ。大瀧詠一・伊藤銀二・山下達郎・杉真理…そして佐野元春。彼らの音楽はどことなくスマートで最先端を感じさせてくれた感が漂っていたように記憶する。当時の死語で言えば「ナウい楽曲」である(笑)しかし番組の中で元春は「僕はシティポップは嫌いだった」と言い切る。「街」じゃないだろ!「道」だろ!「シティなんて幻想だよ。僕は東京に暮らしていて、そんな街なんてどこにもないじゃないか」と語る。デビューアルバムタイトル「バックトゥザストリート(道に戻る)はそこから来ている」とも語る。太田氏は「なるほど!そうなんですね!と頷く」これは意外でもあった。当時、若手の我々が最先端の音楽として感じていた「シティポップ」の創作者達は皆「シティポップ?なんだそれ?笑っちゃうね^^」「勝手にすれば?」だったのかもしれない(笑)


ともあれ「シティポップ論」はさて置き、番組を通じて痛感した事は前段でも触れたが昭和の時代に最先端と思い聞き込んでいた元春は今や「令和の佐野元春」に上書きされている事は間違いない。昭和の自分は上手く現代を歩んでいる気持ちでいても気付かぬうちに進化もなく「置いてきぼり」になっているのだろう。つまり時代の波に乗り遅れれば 、そこには「老害」が待っているだけだとも感じる。一方で佐野元春、桑田佳祐、つまりは「錆びない・落ちぶれないミュージシャン」たちは常に「時代(怜和)」と言う潤滑油を自分に与え進化を遂げ続けている様に今更ながら感じた。これは「芸能人だから」という事ではなく一個人の「前のめりな心と柔軟性」がおりなす必然の形なのだとも感じた。彼らほどストイックに時代に浸透する事は出来ないが、当然ながら人は時代の変化に対応する心と身体を保持しなくては、残念ながら「老害」を待つだけなのであろう…とあらためて感じた次第です。
    
            「手遅れと言われても口笛で返していた」自分は、サムディと共に歩むだろう^^


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