Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~桑田佳祐 歌詞の世界 ⑳~

こんにちわ!

シリーズ「~桑田佳祐 歌詞の世界 ~」につきまして、訪問して頂く皆様の温かい心で読んで頂き何と20回目を迎えました。つまり1回5曲ペースで書かさせて頂いているので今回で100楽曲となります。桑田さんの製作楽曲全てを見渡せば「氷山の一角」ですが、一曲一曲の裏の顔などに触れさせて頂き、あらためて桑田楽曲の「奥の深さ」に気付かせて頂いています。軽やかなメロディーで耳にこびり付いている楽曲でも実は内容(歌詞)は切なく、もどかしい気持になる楽曲である事などに気づき、イメージまでも大きく変化して行く事も多くあると思われます。いつもながらファンの方も桑田サウンドに縁のない方も少々お付き合い頂ければ幸いです。         (ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)


    

【LOVE AFFAIR~秘密のデート~】(アルバム:さくら)1998/10
「二度と戻れないドラマの中の二人 嗚呼 お互いに気づいてる」


「不倫」と言う2文字を聴くとドロドロした嫌らしい「世の中的には受け入れがたいモノ」と評価されがち。ただ人は人を好き(愛する)になる感情はおそらく幾つになっても多かれ少なかれ絶える事は無いのだろう。男女共、寄る年波に表面上では「そんなに若くないよ」「もう恋愛などいいわぁ」などと口では言っても現生活の中で新鮮な恋愛を感じたいとふと思う事は健康な証拠なのでしょうね(笑) そんな機会(不倫)に出くわした男女間の「想い」を切実に明確に語っている楽曲の様に感じる。挙げさせて頂いた一説は相手の気持ちも同じ目線だと察し「もしかしたら好きになってしまったのかも」と言う切なさと先々の無いであろう愛に対する不安を心の中で回想している感じに受取る。つまり「幸せと裏腹の不安」を同時に感じ、当ての無い2人のドラマを脈々と進行させている様が浮かばれる。おそらく桑田さんは、不倫に対する切ない部分と高揚する気持ちを明確に表現したかったのだろう。


                 

【クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)】(SINGLE)1993/11
「きっと愛する誰かの 声が聴こえる Holy night 心に積もる音(ね)は 魔法のしらべ」


今年もクリスマスシーズンを迎え巷はクリスマスソングが彼方此方で流れています^^
山下達郎さんの「クリスマスイヴ」など、クリスマスソングと言えば「恋人どうし・愛・恋」などと結びつける傾向だ。そもそも、この楽曲(クリスマス・ラブ)を耳にした時に「色々な人々に平等にクリスマスはやって来る」的に勝手に解釈していた。歌詞の中に出て来る「君」とは恋人、友人・子供・親・捉え方によっては様々だ。つまり「愛する誰か」なのだ。ホボ全世界の人々にとってクリスマスと言うのは「特別な日」である事は間違いない。宗教上の感覚はもちろんあるが皆、一般的にはキリスト教信者でもないのに、大人たちは、その日は酒で顔を赤く染めてとんがり三角帽をかぶりネクタイを額に巻く一方で家で待つ家族パーティを気にしながら繁華街の時間を過ごす^^子供たちは鈴の音と共にサンタを信じてプレゼントをもらい浮かれる日なのだ。いつまでも絆を持っていたい人、既に亡くなったが忘れたくない人と笑顔で触れ合える「魔法の時…」クリスマスとはその様なイベントなのかもしれない。そんな捉え方も出来るクリスマス楽曲だと捉えています。


                                                  

【マンピーのG★SPOT】(SINGLE)1995/05
「芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手" とほざいたと言う 
                    僕はベッピンな美女を抱いて宴に舞うばかり」


お馴染みサザンのライブで最後の「盛り上がりメドレー」では欠かさない楽曲。タイトルや歌詞全般からいえば「エロを叫ぶノリの良い楽曲」である。総じて「桑田楽曲」の真骨頂と言っても過言ではない。しかし掻い摘むと生々しい男女間における「性(サガ)」の様なものさえも感じ取れる。御存じ「芥川龍之介」は有名な小説家。スライは1960年~70年代にかけて活躍した「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」。この掛け合わせに意味はないと考える。そのあとの「美女を抱いて宴に舞う」が「綺麗事をほざいても所詮「それ(性)」が全てである」と訴えかけている様に受け取る。つまり男女共に人間は素晴らしい文学も音楽も、性欲望を超える欲望などないはずだ。そして世の中は所詮男と女そしてジェンダーだ。人間は性別などはともあれ紳士・貴婦人を装っても潜在意識の中で子孫繁栄が植え付けられた生き物。気取る事なくさらけ出せば良い…実にわかり易く、エロを真っ直ぐに捉えた桑田さんのストレートな表現だ。この作品を「下品」と評価する方が居たとしても、詰まる処
その方も紛れもなく「人間」である事に間違いない訳だ。


                                                                               

【素敵なバーディー(NO NO BIRDY)】(SINGLE)1993/07
「サヨナラさえも言えずに他人のままの二人なのさ 
               古いチャペルの鐘が鳴るたび 黄昏はいつも涙に変わる」


聴くだけで切なくなる失恋の楽曲だ。出だしの「遠い思い出の夏は冷たい夜しか残さない」この表現が全てを語っている。将来を約束した男女が何かの事情で別れる事に成り振り返れば後悔と孤独が自分に襲い掛かっているのだろう。そんな感情を詩中で「暮れゆく街のどこかで今も愛しい女性は眠る」と思いの丈を語っている。そして挙げさせて頂いた一説だ。「サヨナラ」という言語を言えないまま、街を行きかう「他人」に成ってしまう。思い浮かべても今現在、笑顔なのか?泣き顔なのかもわからない。そして愛が覚めていくと共に当たり前だがお互いに「他人の顔」になる切ない思い。これ以上のもどかしさは無いのだろう。黄昏時と言うのは罪な奴で、その様な感情を掘り起こしてくる。人は皆、出会いや別れを繰り返し成長するとも言われる。「出会い」はともかく「別れ」の時はいつの時代も万人が同じ思いになるのではないだろうか?それは総じて「黄昏時」なのだろう。


                                                                                                                  

【この青い空、みどり~BLUE IN GREEN~】(SINGLE)2000/11
「Ah,今の今まで雨は強引ぎみなAction 物質に癒された人生は暗い
           傘もささずに濡れた少年の日にReflection 現在は亡き友達の顔」


ドラマ「神様のいたずら」の主題歌であると同時に桑田さんの番組「音楽寅さん~MUSIC TIGER~」エンディングにも流れた。発表当時の世界環境や政治、または日本国を意識したり次世代への期待、またはファンへの感謝、そしてサザンとしての揺るぎない絆的なものに触れている様に感じる。桑田さん独特の「環境問題・世界情勢・日本政治への斬り込み」を込めた楽曲だ。「今の今まで雨は強引ぎみなAction」この「雨」とは戦争や紛争の様に受け取る。「傘もささずに濡れた少年の日にReflection」幼き頃の純粋な気持ちを忘れたくない的な内容なのか?そして「現在(いま)は亡き友達の顔」だ。理不尽に戦争で亡くした友なのか?会いたくても会えない友への切ない気持ちを繋げているのだろう。サザンの旧メンバー・ギタリストの大森隆志への言葉なのかとも受け取った。



        本日も最後までお付き合いありがとうございました
    また機会があれば「桑田佳祐 歌詞の世界」書かせて頂ければと思います
      その際は、懲りずにお付き合いよろしくお願いいたします^^


       さてさて、101曲目は、どんな楽曲を選びましょう?^^