Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~残念な昭和の負遺産~

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当ブログにて書かせて頂いている「~麗しき昭和の頃~」で触れていました「雑だけど温かい時代」として「昭和」を取上げさせていただきました。「麗しき」では「温かい」部分を中心に様々な「昭和の思い出」を書かせて頂いてます。本日は「雑だけど…」の部分に触れてみようと思います。特に「昭和のご同輩」におかれましては共有して頂ける話題かと思いますので是非最後までお付き合い頂き、ご意見・コメントなど頂ければ幸いです。


さて、昭和の時代は「雷おやじ」「おせっかいオバサン」など様々な温かい面の反面「労働」「教育」「環境」「食品」「ビジネス」、当時は「当り前」と感じていましたが、ありとあらゆる中で「雑な感覚」が横行していたように思われます。


例えば今話題の「ジャニーズ性加害問題」ジャニーズ事務所の元代表、喜多川氏が少年たちに性犯罪を数十年に渡り繰り返していた件だ。海外なら「死刑」であってもおかしくない事例だろう。許されない事だが当時の大手を含めた芸能事務所「幹部達」や「作詞家、作曲家、プロデューサー」は、どこかソワソワ・ビクビクしている老人連中が多いのではないだろうか?喜多川氏は「少年」だったが「少女」で「ご盛ん」だった芸能事務所幹部もかなりいるのだろう。田舎から出てきた少年少女を「売れたいんだろ?」などの誘惑を投げかけ欲望を満たしていたのは喜多川氏だけでは無いのだろう。当時はよくドラマ化されたり それがある種、当たり前の世の中だったのでしょう。当の喜多川氏も「犯罪意識」というより「芸能界とは そう言ったモノだ」的な感覚で罪悪感など全くなかったのではないかと感じる。同時に「被害者の声」の中には、1988年北公次さん(元フォーリーブス)暴露本発表の際に北さんは「売名行為」と喜多川氏側から批判されながら当時も今も、その真実に触れず沈黙している「今となっては大御所」の方々が未だ被害の声を上げていない事も気になる。あの人、この人、そこの人も?性加害を受けていない訳ないはずだ。一方でジャニーズ事務所の会見を見ていると「事務所関係者」は記者たちに叩かれる。しかし「昭和」からある老舗マスコミ会社の記者たちは自己の所属する会社も当時(昭和の頃)の喜多川氏対応含め業務方法や個人情報保護など叩けば誇りが出る事を理解しているのだろうか?何れにしても、今では考えられない事でも当時は「当り前」の世の中だった事は間違いない。

             


また、思い起こせば2013年、56年ぶりに夏の五輪開催地が「東京」に決まり大いに盛り上がった「TOKYO2020」。後にコロナの影響もあるが結果的に後年に開催されるモノの「記憶も記録も残らない大会」で幕を閉じた様に感じる。終わってみれば大手広告代理店D社の元役員による不正が発覚し一大事になる始末。これも言うまでもなく「昭和の負遺産」だ。彼にしてみれば、自分がD社に入社した当時から当たり前に繰り返されていた事。「これが世界を相手に開催する でかい仕事を行うためのセオリー、中小企業や素人は黙ってろ!」位に思って、のし上って来た方?なのではないだろうか?挙句の果て「2030年札幌五輪招致を断念」にまでも紐づいている気配。「TOKYO2020」での お粗末なJOCの管理監督・運営に対する「不信感」や「少なからずの汚職」を懸念しているのは当然の話。また近しい話で挙げれば、今でもよく聞く所のゼネコンによる「談合(入札などを意識し事前に契約など裏約束して推進する事)」なども政治家を含め昭和の頃は物件が大きければ大きいほど「当り前」だったのかもしれません。しかし一方では「全てフェアー」な入札などを行った場合に低額で落札した企業が本当に完工できる耐力やネットワーク・技術を保持しているのか?の疑問もある。「泣く子も黙る大手だから任せられる」というのも否めない所だ。残念ながら今の日本では「TOKYO2020」「サッカーワールドカップ」など大型イベントの計画・設計・開催運営を仕切れるのは「D社やH社」無しで業務推進・遂行が成り立つのか?は、闇の中。そんな背景もあり昭和の負遺産が継承・継続されているのでしょう。


        

 
今回は大きく昨今の重大事件から「昭和の負遺産」2点を抜粋してみましたが「雑な昭和」の名残など、あげればキリの無いほどある。「24時間働けますか!」「根性で乗り切れ!」「風邪?這ってでも来い!」「俺の酒が飲めないのか!」…全ての人々とは言いませんがこの様な世界で育った世代が「令和の生活習慣軸」に馴染むわけありません。恫喝・精神論が当り前で「俺・私が若い頃なんざぁ・・・」と武勇伝を語っても空振りな事を意識しなければならないのでしょう^^そして仮に「パワハラ・モラハラ」で会社・世間から外され納得が行かず「何故?俺・私が?」など時代遅れの疑問などを抱かずに「時代と共に感覚も変えなければならないのだ」と柔軟性を持ち生活する事が重要なのでしょうね^^何れにせよ「雑で温かい昭和」も昔の話。全ての軸は令和の現代なのだから。         

                                     

                                        今回もお付き合いありがとうございました!