Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~戦争・平和・子供たち~

こんにちわ!

言うまでもない ウクライナ情勢。
このような事態になると何の罪もない人々、普通に家族や大切な人と大事な時間を楽しみたい人々が、権力者の一つの感覚・発想で日夜危険に晒されています。私たちは「真実・実態」についてマスコミや専門家の話を聞いて自分なりに解釈・判断するしかない状況です。


現在行われている「残念な発想」が なぜ浮上するのか?理屈ではなく眉間にシワを寄せざる負えない。国が違えば言葉も違い発想も違う。またルールやマナーも違う訳で、
「それはダメでしょ」とは言えない事も間々ある事は残念ながら存在する。
しかし今回は違う。「それは間違っている」と言いきれるだろう。かつて日本も権力者の
発想で数え切れないほどの犠牲者を出し最後には「原子力」により立ち直れない程にまで追い込まれた。昔の映像などを見るとあの焼け野原からよくスカイツリー・六本木ヒルズまでたどり着いたものだと感心する。いま一度「平和の流歌」を聞きこみたい。なぜなら
「明日は我が身」だと言う事も大いに噛みしめておかなくてはならない気がするわけです。



    
     しかしながら企業に例えると こんな想定も考えられる気がする。


確かに傲慢で融通の利かない会社トップは居る。しかし周囲でその人や関係者を煽り、
やらなくて良い事までも取り入れようとする厄介者もいる。企業引退者含め企業人あれば頷けると思う。当然だが「独裁」とは言え、経営も戦争も1人では具体的には何もできない。
本当の懲罰対象は独裁者はもちろんだが内部で要らぬ事で煽り立てている人物たちが居るとしたらその人物の方が罪は重く責任も大きいのだと感じる。


今回の戦争・いや強行侵略と言った方がいいだろう。国の権力者である1人の人間がホボ世界を敵に回しても成し遂げる理由は何なのか?NATO絡み・地位や名誉・立場や金・妄想。しかしそのために何の罪もない子供達が犠牲になり「それはそれ」で治まると感じているのだろうか。何の罪もない一般人も勿論だが敢えて大声で訴えたいのは「子供達」である。


                      先日、威張れる金額ではないが ニュニセフに募金を行った。
いくつかの「個人的想い」を形にしたまでの話です。これは「偽善者」になりうる行為
        かもしれないが、自分の気が済む事を優先した。


              理由は大きく一つでした。


「全く罪のない子供達が、1人の大人の 独裁的発想・歴史的感覚・思い込み・妄想などで
 「自己の生死の意味」も分からず大けがをしたり命を落としている」   ありえない。
  私は今回の「権力者」とは、残念な感覚や発想は全く異なり同感の余地もない
     「同じ大人として」「子供に対して」申し訳がなく感じると共に
    情けなく感じ、被害を受けている子供たちに謝りたいと思ったからです。


     もしも自分の家族・周囲に同じ矢が向けられたとしたらどうでしょう。
      これほど理不尽で怒りの頂点にたどり着くのではないでしょうか?
              
              募金の理由は以上でした。

これは今回の戦争に限らず未解決事件や事故にも精通する事だと思います。
関係者ではないので表面上の事しか見えませんが、キャンプ場で少女が行方不明(誘拐?)される。両親がパチンコをしている時に幼児が消息不明(誘拐?)。自転車に乗る親子に老人運転の車が突っ込み死亡させる。老人は「車のメカニック不備」を主張する。どんな心境・環境なのか知らないが大の大人(親)が幼児を殴る蹴る そして死に追い込む。いずれにしてもこの話の中の「子供たち」は大人が主役の犠牲者なんですね。


昔はステテコにランニングシャツのおっちゃんが近所にいて道路で野球などしていると良くも悪くも大声で怒られました。何なら意味なくたたかれました。でも怒鳴った後で広場に連れていかれ一緒に野球をしてくれるなど子供ながらに怒られた意味を変に納得したものでした。何はなくとも「大人は常に子供を守る」側でいたいと思う次第です。そして守られた子供は次の世代でも自分がしてもらった常識を子供たちに継承してゆく姿が大切なのだと思います。これは万国共通でいたいものです。


本日も訪問ありがとうございました!