Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~時間は平等に過ぎる~

訪問ありがとうございます!

最近、年齢を重ねるに伴い、どうでも良い事が頭を過ったりする^^頷けるか否かは別として、少々長くなりますが「呟き雑談」にお付き合い頂ければ幸いです。^^


いつの時代も、若者は自分が年配者年齢に成るまでを「まだまだ自分には遠い世界だ」と感じている。当たり前と言えば当たり前。それぞれの時代の若者は、それぞれの時代の年配者感覚をイメージができなくて当然。しかし何時ぞや否が応でも誰もが辿り着く老年。年配者の「感覚・思想」は「年寄」に変化していると決めがちだが実際、どうなのだろうか?つまらないテーマだが仲間とお酒の席などで盛上る事もある^^


さて、人生には様々なパターンがあるが、一般的に「ザックリ」言うならば…生まれて幼少期を経て学生時代、いわゆる青春期を送り社会人となる。そして家庭を持ち我が子が生まれ紆余曲折・成人し社会人となり結婚。子供を授かり自分達は祖父・祖母となり一生を終えて行く。簡単に一生をなぞれば、そんな所だろう。更に回想すれば幼・少年期は親(大人)にしがみ付き、青春期は友人と共に謳歌する。社会人になればストレスとの戦い、我が子に対しては未熟な自分を扨置き心の底で「自分は出来ているのか?」と囁きながら道を説いたりする。気が付けば「定年期・更年期」を迎える。ついこの間まで職場の老兵者、専業主婦は近所の長老主婦から「若くていいねぇ」などと言われていた自分たちがいつの間にか現在「若い人は…」と言う言葉を常套句として発する立場に成っている訳です。順番と言えばそれまでだが何とも時間の流れには驚くばかりだ。時の流れに屈服さえおぼえる。

                       

若い頃はとにかく、万事「まっ!いいや、何とかなる」という根拠無き塊だったように思い出されます。厳密に言うと「何とかなる」とすら感じてなかったのかもしれません。日常の中で「健康」「自由」は当たり前。歳を取って壁に当たっても「その時に考えればいい」そんな事は数十年先の「気の遠くなる程、先の話だ」時間がまだある。と無意識に頭の中で旋回していたのかもしれない。「鉄腕アトム」前後世代が、まさに現在 その「気の遠くなる」位置な訳だ。しかし不思議なもので実際に「高齢化」してきた容姿・体力・健康とは裏腹に気持・感覚・思想は若い時分と そう変わらない。なんなら感覚的にはそのままである。衣服の好みや欲しいモノも全てでは無いが若い当時のまま現在を生きている様に思う。時に「自分は既にイイ年なのだからこれは着れないなぁ…」「こんなの持ってたら年甲斐もなく…など思われるなぁ」など感じてしまったりする。つまり気持ちの中で「制御」しているのだろう。財力的には若い頃とは比べ物にならぬ程、自由にできるお金はあるが故、当時買えなかったモノが無性に欲しくなる事もある。要は「容姿・体力・健康は老化を辿る一方、気持・感覚・思想は成長してないのではないか?」と自問する事もあり仲間と酒の席でもりあがると「俺もだ!」「私も!」と言う意見を多く聞き「ホッ」とするシーンもある(笑)  
では人生の諸先輩方はどうだろうか?身近に言えば、親の世代はどうなのだろう。一般的には、自分たちの親に「大人」のイメージ・人間像を創り上げているだけで大まか健康な80代90代は勿論、介護を受けていたりしている親の年代もおそらく感じている事は同じではないのだろうか?つまり心の中は「若き良き一定の頃」で停滞しているのではないか?深堀するならば人は皆そうなのだろう?人の心・人生とは「そういうモノ」なのかもしれない。偉い学者も医師も科学者さえも表面とは別に少なからず内面は皆そうなのかもしれない。…など 時折つまらない事を考えたりもする^^


もちろん現実に生きる成長は無い訳ないが、総じて「気持・感覚・思想は青春の頃と現在も大きく変化していないが周囲が自分を年配扱いをするから年配者意識を無理に植え付けている」そんな事までも薄らぼんやり感じてしまうのだ。年配者の常套句「俺だって若い頃は…」「昔は私だって…」と言う言葉の裏には「見映えは老化したが気持は違うのだ!」という感覚もどこかにあるのかもしれない。いや、その感情は在って当然なのでしょうね。むしろ剥き出しにした方が良いのかもしれない。ある種、勇気が要る事かも知れないが「容姿と気持は別物」で医学的にも本音・気持を前に出す事は自律神経などにも作用し健康面が大きく左右されるような事も聞いたことがあります。


最後になりますが以前にサザン繋がりのブロガーさんとのやり取りで、昭和の名作ドラマ「前略おふくろ様」のワンシーンを語りました。最終回のラストの場面に、おふくろさんを亡くしたサブちゃん(萩原健一)に、恋人だったかすみちゃん(坂口良子)からのお悔やみの手紙が届きます。内容は以前にサブが、かすみちゃんにあてた手紙内容の振返り。「二人の輝いていた時期を忘れまい」と言う事に受取るが、私は「確かに年齢を重ね容姿・健康は損なわれているが、心の底では若々しい気持や感覚を継続していて老人化する自分と常に向き合っている」執筆・倉本聰氏の意中を想像する。


            【前略おふくろ様 最終回より】


      
「例えば俺とかすみちゃんが万一一緒になった時、二人のあいだに何人か子供ができる。
子供たちはおおきくなり一人前になる。彼らは街に出て働き始める、俺たちは歳を取り、俺が先に死んでかすみちゃんは残る。かすみちゃんが独り蔵王に残る。その時、子供たちは、かすみちゃんのことを唯のシワだらけのお袋としかみない。昔、分田上で働いていたこと、二十歳すぎたばかりのかすみちゃんを知らない。そんな母親を知ろうともしない。昔、母親が若かったこと、母親にも青春があったということ…。さぶちゃん、この手紙を私はどこかに大切に取っておこうと思う。そして将来、私の子にそっと見せて自慢してやる。見なさい、かぁさんにもこういうふうに輝くばかりの青春があったのよ…。そうだ、かすみちゃん、俺もとっとく。 あんたのこの手紙を俺も大事に。そして、俺がいつか老けこんで、入れ歯なんかぴちゃぴちゃ洗うようになった時、俺はおれの子や孫達にこの手紙を見せて言ってやる。 俺にも、こういう青春があったんだ。」 
 


             本日もありがとうございました!