Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜麗しき昭和の頃⑦〜

こんにちわ!

想い出せばキリの無い「麗しき昭和の頃」過去6回に渡り記事を書かさせて頂き別サイトブログ内含め多くのコメントなど、ありがとうございます。それぞれ皆さまの脳裏に浮かぶシーンや体験・当時の感覚は、ご同輩の皆さま「昭和の戦士」は「同じ目線・同じ匂い」の中で過ごされて来たのだと思われ大変嬉しく感じたと共に、あの夢の様な「雑だけど温かい時間」は、紛れもなく流れていたんだと、あらためて実感する次第です。今回また性懲りもなく「〜麗しき昭和の頃⑦〜」を書かさせて頂きますので是非最後までお付き合い頂ければ幸いです。


【授業参観日】
当然、現在も存在しますが懐かしい響きだと思いませんか「授業参観」(笑)皆さん我が子の「授業参観」にも参加されたと思いますが、自分が親を招く側の「授業参観」は懐かしいものがあります。前日は担任から「お父さん・お母さんに恥ずかしくない授業態度をするように!」的な事を言われ「そんな事言われても指されて答えられなかったら恥ずかしい」と心の底から心配し、帰れば帰ったで「皆の親はキチンとした格好なのに、自分の親だけ普段着だったらどうしよう…明日は何着て来るんだろう?」などと心配したものです^^当時のお母さんたちの「お洒落着」としては、スーツ的な正装のお母さんも居ましたが基本は「着物」が主流だったように記憶します。「何を着て来るんだろう」という不安を余所に お母さんたちは「年に一度のお洒落天国」ムードで登場していました(笑) 中にはドーナツを幾つも重ねた様なヘアースタイル(昔の女優さんによくありがちな)で、さながら「バーのママ」的なムードのお母さんもいましたよね(笑) いよいよ親達が教室に入場する訳ですが、次の心配は「うちの親はちゃんと来るのだろうか?」と言った心配。キョリョキョリョ後ろを振り向き皆、親の存在を確認していました。また、友人の親と自分の親が語り合う姿を見て、なぜか不思議に感じたものです。おそらく知らぬ親同士が自分たちの関係を元に親しく語る姿が嬉しかったのかもしれません。何にしても「授業参観」の独特の雰囲気と空気感、緊張感や期待感は、社会人では味わえないものだと思いました。  

       


【放課後】
授業が終わると訪れるのが「放課後」だ。現在の子供たちは家に帰り、テレビゲームを1人でやっていることが多いようだが、昭和の時代は一目散に走って帰り、広場や公園で野球や、缶けり、そして探偵ごっこなどをやった。おそらく現在では外で遊ぶより家にいた方が「安全」といったところなのだろう。そして、小学生も高学年となるといろいろな係活動があり新聞係などになると当時はコピー機等はなくあの黒いインクの匂いで印象的な「ガリ版」を藁半紙に何枚も擦り手や服がインクで真っ黒になった思い出がある。つまり社会人であれば「残業」と言うわけだ。学級委員になどなろうものなら様々な委員会をに出席し、働かなければならなかった。これは今も昭和も変わらない事実であろう。しかしながら、学級委員と言う大役を担うのはエリートと言う名の証なわけだ。従ってクラスでも一般的に成績優秀、スポーツマンが担う事が主だった。彼らにとっては、放課後の草野球や、缶蹴りよりも学級委員活動の方に魅力を感じていたのだと思う。私は個人的に「リトル政治家活動」に映るイメージはあった。しかしながら、時に私の様な庶民派が当たり障りなく?選出される事も無きにしも非ず(笑)クラスの中でも「優秀君はもう飽きた」的な感覚なのだろう。これは実社会の選挙にも感じる所はありますよね(笑) さて、以前の記事で「誰も居ない体育館」を取り上げたが私個人としては放課後の誰も居なくなった教室、廊下、下駄箱、渡り廊下そんな夕焼け迫る校内が好きでした。子供ながらに「哀愁」を感じていたのだろう(笑)

       


【文房具】
幼い頃、文房具はある意味で「玩具ツール」的な捉え方もしていたと思う。言うまでもなく筆箱などは無駄に鍵がかかるものがあったり、磁石で開閉できるものがあったり、両面使いが出来るモノもあった。何のために筆箱に鍵など掛ける発想を考えたのか?謎である(笑)鉛筆も洒落っ気のない黄色に頭の部分が硬い消ゴムが付いていて銀色のキャップをしておくのがお決まりだった。この硬い消ゴムが曲者で.よく消えない上に紙までも汚してしまう代物。また、鉛筆削りは手動で後部のハンドルをまわして削ったものです。電動鉛筆削りが発売された当初は「削り終え制御」がない頃で、自分で頃合いを見て止めるものでした。いずれにしても「削りカス」の匂いが懐かしく思い出されます。時は過ぎ「シャープペンシル」たるものが流行り皆が使い始めると親にねだって買ってもらうが0.5ミリの芯は直ぐに折れてしまい替えの芯が手放せませんでしたね。シャーペンも進化し横の部分をノックする「ペッカー」というものも発売されたり「サム」というワンプッシュで鉛筆の芯程度の太い心が出てくる代物も流行りました。下敷きはと言うと小学生のアニメ柄時代を過ぎると、中学生はA4程度の「透明ビニールケース」に女子は、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎。男子は、天地真理、アグネスチャン、麻丘めぐみなど芸能雑誌「明星・平凡」の切り抜きを挟み下敷きにしてました。今にして思えば「僕は、私はこの人が好きです」的なアピールだったようにも思います。

       

【恋愛事情】
小学校高学年から中学生にもなれば色恋沙汰も、おぼろげながら活発化する。小学生高学年では「隣の席」「同じ班」などに「好きな人」が来ないかとドキドキ…中学生ともなれば、純情な話で行けば「お付き合い」ではなく「両想い」といった言葉がキーワードであった気がする。つまり「2人で話す・一緒に下校する・手を繋ぐ」だけでもドキドキしていた年代だったのだろう。そんなコソコソ感漂う中で「両想い」になる為にはクレスメイトの「異性協力者」が居たものだ。「〇〇ちゃん好きなの?協力してあげるよ^^」と言った具合だ。協力と言ってもさしずめ「手紙を渡す」「可能性の探り」程度の事だろうがそれはそれで心強かったですよね(笑) しかしなぜ協力してくれたかを後に辿るとその「異性協力者」は自分に好意を寄せていてくれたなど子供ながらに滑稽な感情が絡まっていたものです(笑) 
そして、いざデートと言っても2人きりではなく、まずはグループでの行動。6人(3人×3人)→4人(2人×2人)→そしていよいよ「2人のデート」と進んだ記憶があります。デートと言っても改札で待ち合わせして上野動物園(東京台東区)にでも行き、不忍池で手漕ぎボート、マクドナルドでハンバーガーを食べるのが精一杯。服装は、もちろん勝負服。といっても買ったばかりの「ラッパジーパン」と「アディダスのトレーナー」がやっとでした。(笑)恋愛の「駆出し」とは、そんな「無垢」な塊なのでしょう。^^

                       


【日 直】
小中学校では日替わりでクラスの「お世話」を行う「日直」という役割がありました。日直の役割は様々だが、朝夕の会進行(司会)授業開始・終了時の号令、学級日誌などの作成・更新、黒板消し、窓の開閉、教室内観葉植物の水やり、などなどを出席番号の同じ男子女子で手分け、或いは共同作業で行う訳だ。相手が「好きな人」であれば言う事無いが、そう上手くは行かない。「あと2つズレれば、あの人」と言う事も無きにしも非ず?(笑)また、教室黒板の向かって右より本日の日付、天気、更にその下に日直男女の苗字が2列。この男女の苗字に「アイアイ傘」を飾る事もあった。その際に「好きな人との相合い傘」は苦笑いをしながら「やめろよ~(ニャニャ)」本当に迷惑な場合は、顔面を硬直させ怒り狂うように「やめろよ!!!」とムキになり怒鳴った覚えがある。子供ながらにお気に入りの人から変な誤解を受ける事が非常に嫌だったんだろうと振り返る。(笑)また残念な人たちもいた。例えばクラス人員が男子の方が多い場合が往々にしてあったように記憶する。そうなると出席番号の最後の方は男子2人で組まされるのだ!つまり「好きな人と…」どころか「野郎2人の日直」として名前が並ぶわけだ。小学校の低学年は別としても高学年~中学生になると残念感を顔に出す男子もチラホラ?「男同士のが良い!」などと強がってみたものの心の底では「お母さん何で1か月早く生んでくれなかったんだよ!」など考えていた事でしょう(笑)何にしても甘酸っぱい思い出の一コマですね^^

       

  
        本日も長文のお付き合い誠にありがとうございいました!
         ご同輩の、ご感想など聞かせて頂ければ嬉しいです。


     
        子供の頃「愛だの恋だの」分からないのに何故か?好きな曲でした^^


      機会があれば「〜麗しき昭和の頃〜」書かせて頂ければと思います。
         また、お付き合いのほど宜しくお願いいたします!^^