Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~桑田佳祐 歌詞の世界 ⑮~

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毎度、自己目線で恐縮ですが性懲りもなく「桑田佳祐 歌詞の世界 ⑮」を書いてみようと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが創る楽曲の歌詞に的を当て、少ない情報による背景や事実とと共に「個人的見解」重視で (笑) 歌詞の一説に触れてみたいと思いまして始めたシリーズになります。ファンの方は「あらためて」初見のかたや桑田さんに興味の無い方も斜め読み程度にお付き合い頂ければ幸いです。私が「昭和戦士?」なので今回も「比較的 初期作品」に触れてみたいと思います。紹介させて頂いています各楽曲をご存じの方・ご存じない方も、対象の楽曲を聴きながら読んで頂けると幸いです!^^
                        (ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)


【愛する女性(ひと)とのすれ違い】(アルバム:KAMAKURA)1985/09
「I don't wanna be the one you love 君だけにモテる俺さ
                                       Somethin's gonna be better to me この世で一番 You are my love」


この楽曲もオールドファンなら必ず知る名曲だ。歌詞全体的に捉えると様々な捉え方が出来る。長年付き合った仲のカップルでマンネリ化した2人。男子は他の女性に浮気心を抱く。そして挙げさせて頂いた要所に出てくる英文だ。「私はあなたに愛される人間になどなりたくない」と思いつつも「君にだけしかモテない自分」が現実として聳える。そして気づかされるのは「こんな状態だけど好きでいてくれる彼女こそが女神なのだろう」と心に刻み彼女といる事で「自分に対して何か良い事が起こるだろう」と悟る思いに深けている。詰まる処「You are my love」で括っているという事では無いのだろうか?とかく長きに渡り時間や生活を共にしている男女は馴れ合が常で「嫌なムード」も無きにしも非ず。しかし「馴れ合い」が故に見えずらくなっているだけで2人で築いて来たモノは確実に存在し「他の何よりも代え難いモノが必ずある」言う事なのでしょう。


            

【慕 情】(アルバム:世に万葉の花が咲くなり)1992/09
「何故に人は旅路の果てに 思い出を捨てに行く」


1955年、ヘリー・キング監督によるアメリカ映画に「慕情」と言う映画がある。第二次大戦直後の香港を舞台にした女医とアメリカ特派員の恋愛映画だ。映画好きの桑田さん、この映画の影響は端々に出ている様にも捉えます。他にも有名な「悲しみは空の彼方に」で有名な楽曲サラジェーン(1959年アメリカ映画)もある。さて、挙げさせて頂いた一説の「旅路」とは人生そのものではないだろうか。要は人は死んでしまう時に「思い出を消してから死ぬのだろう」いや「消してしまう事は自然な事だ」と言いたげな、何とも切ない表現だ。そして「大サビ」とも言われる英語の歌詞「You know my heart is on the way to breakin' down.」この言葉は深い。日本語ではなく英語での表現なので一層深みが出ている。「貴女は僕が傷つき疲れ壊れていくのを分かっているんだね」といった言葉と共に「さよならは風に乗せて」で締めている。否が応でも心が熱く切ない気持ちになる歌詞である。


                                        

【心を込めて花束を】(アルバム:Young Love)1996/07
「若さにまかせて家を出た時 励ます言葉が身に沁みたよ
                                                              どんなに背伸びをしても 腕の中で甘えてた」


ウェディング ソングは洋楽、邦楽、含め様々な名曲がある。私がサザンが好きだからと言うわけではなく、この楽曲は歌詞を含め名曲だと太鼓判を押したい。自分の結婚式で使用したご同輩も多いと感じます。どこの家にでもありそうな親子の状況が想像できる内容だ。青年が若く尖った時代に親に反抗し、見守る両親。青年は成長し社会に出る。そして最愛の人が現れ「愛する人を守る事、自分の家族を育てる事」を目の前にする。青年は自分を育てるために両親が歩んできた道のりや苦悩を振返り熱いものが込み上げる。そしてどんな時でも両親は自分の最大の応援者なんだと気づくと同時に、今度は自分の番だと胸に刻むわけだ。そのような状況がくっきりと心に浮かぶ楽曲だ。捉え方からすると「よくある情臭い話」だが、よくある話だからこそ、この率直に描かれた詩の内容が刺さるのだとも感じます。「どんなに背伸びをしても腕の中で甘えてた」というフレーズは若き時代、人其々 環境や状況、両親、兄弟、先生、形は様々であれ寄る年波に心に染みるものではないでしょうか?


                                                                

【あなただけを 〜Summer Heartbreak〜】(SINGLE)1995/07
「陽に灼けた頬寄せて悪戯に絡み合い 抱き寄せた胸元は Ah 恋に濡れた」


まず普段「悪戯」を「いたずら」と読むか「あくぎ」とよむか?皆さんはどちらでしょうか?「いたずら」は一般的に些細だが人が困る事「あくぎ」は質の悪いいたずら?まぁ、捉え方は様々。この楽曲・歌詞の中では歌われてる様に紛れもなく「いたずら」。歌詞全体を総じて表現するならば、開放的な夏のひと時に出会った男女の行方を「時は、いたずらに過ぎて行く様」を表現してる様に感じる。楽曲終盤の「誰かが落とした麦わら帽子が 波にさらわれ夏が終わる」ともある。つまりは総じて「ひと夏の、いたずらな恋」なのだろう。この辺の「ひと夏の恋」的な桑田さんの楽曲は多くあるように思う。また今更ながらだが桑田さんの十八番とも言えるキーワード「夏」という開放的な季節と「いたずら」というワードを巧みに混じり合わせ何とも言えない「発火しやすい夏の恋?」の景色を醸し出しているところなど流石、「夏の男 桑田佳祐」だと、あらためて聴き惚れる次第です。


                                                                                                              

【いとしのフィート】(アルバム:熱い胸騒ぎ)1978/08
「みじめな気持ち こんなの初めてよ ぼく あの娘はSunshineの様に笑ってくれる でも」


アルバムが発売された当時は聞き流していた楽曲であり歌詞でした。ファンの皆さんに置かれてもこの楽曲は「大好き!」という声はあまり聞こえないのではないでしょうか?楽曲・
歌詞全体を見渡せばわかる様に「大晦日の唄」ですね。そして音楽性的にも「学生 桑田佳祐」の香りがプンプンと匂う楽曲ですね。桑田さん自身の実談では無いにせよ、彼氏がいる彼女に心奪われ、暮れも押し迫る頃にその彼女と何となく2人で過ごす時間を赤裸々に語っているようにも映りますね。特に「Sunshineの様に笑ってくれる」という表現は自分にとっての「女神」ともいえる表現で分かり易い。「陽光の女神」とでもいうのだろうか?(笑) また、この歌詞の後で「でも…」と残し、切なさを残すところが好きだ(笑) 薄暗い古く狭いアパートの一室、暮れも押し迫る中で若き片思い男子の悶々とした思いが思い浮かばれ「孤独」や「憧れ」などが交錯した若者によく在りがちの感情を歌われている様で、昭和の頃の友人宅や風景などを思い出させてくれる個人的には大好きな楽曲です。


如何でしたでしょうか?
以前に桑田さんのコメントで「意味のある楽曲を創ろうとして歌詞を考える事はない。羅列が形になる」的な事を聞いて「なるほど」と思いました。もちろん「〇〇に贈る歌」の場合は少々感覚も異なるのかもしれません。しかしポップスは凡そ「空想の世界」気持ちよく感動して和めれば名曲なのではないでしょうか?つまり「気持ちの良い・心地良い内容」に自分自身で想像し導き浸る事が大事なのかもしれませんね^^


「桑田佳祐 歌詞の世界」
また機会があればご紹介させて頂ければと思います。


本日もありがとうございました