Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~麗しき昭和の頃 ②~

こんにちわ!

本日は、先日書かせて頂きました「~麗しき昭和の頃~」を引続き書かせて頂こうと思います。前回記事では、共感頂きコメント等、誠にありがとうございました。^^


     


【白黒テレビ】
思い起こせば物心が付いた頃のテレビは「四本足・ブラウン管・白黒」でした。当然、チャンネルもダイヤル式で「ガチャ・ガチャ・ガチャ」と大きな音を立てながら家族でチャンネル争いをしたものでした。そして決まって白黒テレビには何やら「布・レース?」的なものが掛けてあり見る度に「布・レース?」を捲りテレビ鑑賞していた記憶があります。これは「カラーテレビ」が発売された当初も続いていたと思います。それだけ庶民の家庭では大事にされていたのでしょうね。この頃の白黒テレビは機嫌が悪いと映らない事もあり、決まった場所を絶妙なタイミングと力で叩くと映りました。我が家の場合は、家の主である父が「絶妙な場所・タイミング」を把握していて、この作業は父の役割でした。(笑) また「チャンネルのダイヤル」も廻している内に抜け壊れてしまい、最終的にはペンチで廻していた事を記憶します。(笑) リモコン時代の今では考えられない事ですが、チャンネルを変える度に炬燵からでて四つん這いでチャンネルを回していました。すると父からは「そんなにチャンネル回すと壊れるからやめなさい!」と怒られた思い出もあります。「番組を見る=チャンネル回す=壊れるが前提」なんて今考えると何とも不条理な時代でした。(笑)

                       


【テレビドラマ】
この時代はまさにテレビドラマが盛んな時代でした。1960年代では「キーハンター」「ケンちゃんシリーズ」「白い巨塔」そしてお馴染み「時間ですよ」など。1970年代は、まさに「テレビドラマまつり」でした。大御所「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」「寺内貫太郎一家」「探偵物語」「ムー一族」「金八先生」とにかくヒット作揃いでした。当時はビデオデッキなど無い時代なので、続きが見たくて夕食や入浴などを手短に済ませ大人も子供もテレビの前で構えていた事を記憶します。私的に印象が一番強いのは1974年~1975年に日本テレビ系列で放映されていた「傷だらけの天使」です。初回放送は土曜日の22時からの放送と言う事で言わば「大人の時間」。それと何といっても内容的にも「お色気シーン」がふんだんに使われていて少年心はドキドキでした。(笑)「大人の時間」にリアルタイムで見れなかった私は結局、後に再放送で平日の夕方に放送していたのを友人宅でコソコソ見ていた事を記憶します。ご存じショーケン扮する「修ちゃん」。とにかく若きショーケンはカッコ良かった。BIGIのバギースーツ・白Tシャツに咥えたばこ・サングラスは当時の男子にはかっこ良過ぎて憧れた。ダウンタウンの浜ちゃんが憧れを寄せていた事も有名。また、水谷豊の「アキラ」・探偵事務所社長、岸田今日子の「綾部貴子」キャスト人も今となれば大物俳優ばかりが登場。水谷豊さんについては、お決まりの「あ~~にきぃ~!」の役柄からは想像できない「杉下右京」に成長されましたね。私は絶対的にポマードベッチョリ「あ~~にきぃ~!」の「アキラ」の方が数千倍好きですが(笑)何しろ現代に「傷だらけの天使」の内容は「コンプライアンス」の風の中、到底放送は出来ないものばかりでしょう(涙)

                                                                       写真:Amazon.co.jp:より


【人気玩具・アイテム】
私が少年期に人気があった玩具や日用品、アイテムを一部、掘り起こしてみようと思います。まずはシンプルに、ミニカー。男子ご同輩はご存じと思いますが、その中でも「シズラー」という充電式ミニカーがありました。そして裕福な友人宅では大型のレースレールキットを保持し毎日通いました。^^また、「方向指示器付きサイクリング車」これは何が何でも欲しかった。後部座席に単一電池を6本位?入れて左右に曲がる際、レバーを操作すると曲がる方向に光が流れるという仕組み。確かお目当ての「黒」が無く「白」を買ってもらった記憶がある。「ウルトラマシーン」これも魅力的でした。簡単に言うとおもちゃの「バッティングマシーン」2段階にて伸び縮みするバットでおもちゃのマシーンが投げるピンポン玉を打つのです。当時はクリスマスプレゼントなどで相当数が売れたのではないでしょうか?そして地味に人気が高かったのが今や「ファミコン」で一世風靡しトップを走る「任天堂」からのアイテムでした。「ウルトラハンド」。アームが伸びて離れた所の小物を掴む。「ミラクルトランプ」「ウルトラスコープ」などなんだか怪しいモノだけどTVのCMなどで子供心を鷲掴みにしていた事は明確だ。また、女子の間では、ご存じ「リカちゃんハウス」「わたあめマシーン」「ママレンジ」「モンチッチ」「リリアン」辺りでしょうか?特に「ママレンジ」は美味しそうなホットケーキを焼くTVのCMにより、かなりの人気だったと思われます。実際はCMの様な仕上りでは無く「崩れたお好み焼き」的になり、あまり美味しく無かったと聞きます。(笑)(文中、各アイテム画像は各検索頂けると幸いです)

               

【プールの時間】
小学校のプールの時間は何よりも楽しみでした。夏休みの決められた日数に登校し、プールの授業を受けるわけです。当時の学校プールの作りは、全国的に凡そ同じだったと思われます。まず暗い洞窟のようなところで足を洗います。まだ洞窟が続きます。次に氷のように冷たい水の中に腰のあたりまでつかり歩いて行きます。洞窟の最後に同じく氷のように冷たいシャワーを浴び、いよいよ洞窟から脱出し、プールサイドでラジオ体操です。あの洞窟探索の様な流れは「消毒」&「心臓麻痺」等を避けるための方策なのでしょうね。夏の学校プールは、晴れていれば言うまでもなく気持ちが良いものの曇っていたりするとバスタオルを肩にかけ歯をガタガタさせていた思い出もあります(笑)そして息を止めて潜りの練習。皆でプールの端につかまりバタ足、ビート板のようなものでバタ足、最後の15分は待ちに待った「自由時間」になるわけです。プールの底に丸い薬品(次亜塩素ナトリウム)があり、それを潜ってとっては投げて遊んでいましたね(笑)形が「ラムネ菓子」に似ていた事もあり先生が「絶対に食べない様に!」と注意もしてたように記憶します。食べるか!そんなもん!(笑)プールから出ると記憶に新しい蛇口のついた両眼用の洗眼噴射水道です。当時は当たり前のように捉えてましたが昨今では「角膜に傷がつく可能性がある」といった医師判断もあるそうです。まさに雑な時代の象徴とも言えるでしょう(笑)そして夏休みに学校プールから帰宅すると、簾から入る緩やかな風と風鈴の音を遠くに聴きながら、やたら疲れて泥のように眠った思い出もあります。あの気持ち良さと熟睡をもう一度味わいたい気持ちですね。


【給 食】
小学校、4時間目終了のチャイムが鳴る15分?30分?前に成ると「給食当番」はイソイソと割烹着を着て「給食室」にクラス分の給食を引き取りに行きました。この途中で授業を公式に?抜け出せる事が何とも自由感覚があり楽しみでしたね(笑) そしてクラスへ戻ると生徒は一列に並び順番に銀食器(アルミ製?)を各人持って給食当番が配膳してました。献立は人気定番の「クジラ揚げフライ」「揚げパン」「コッペパン+マーガリン」「ブドウパン」「薄~いカレー̪シチュー」「薄~いトマトシチュー」「冷凍ミカン」「ミルメイク(牛乳に混ぜるとコーヒー牛乳に成る)等々がありました。現在の給食は栄養バランスも考えられて「ラーメン」や「パスタ」何なら「ちらし寿司」「ビビンバ」みたいなものも出ると聞きます。その効果なのか?現代の子供たちの成長は大きく伸びている様にも感じますね。そりゃ~大谷翔平も仕上がりますよね^^我々の時代は栄養以前に「チクロ」問題などで食生活も安全だったのか?否か?今となっては闇の中です。(笑) いやはや時代の流れと共に変化の驚きと少しばかりの不公平感も拭い去れない気持ちではありますね  (笑)  しかしなが当時の日本はお世辞にも裕福ではないため「甘いモノ」など子供らは、ナカナカ口にすることが出来なかった記憶があり給食に出る「ザラメ砂糖の付いた揚げパン」がとても楽しみだった記憶があります。そして風邪などを引き、学校を休むと決まって近所のクラスメイトが「コッペパン+マーガリン」を届けてくれた思い出もあります。今にして思うとあのアクションは学校側が「給食費」を取っているので返金などの問題回避を検討した行動なのかな~…などと、大人のいやらしい感覚で捉えてしまいます (笑) よくないですね (笑)

         


さて、前回の「~麗しき昭和の頃 ~」を書かせて頂いた後に。次から次へと走馬灯の如く思い出が蘇ると共に「アレコレ」思い出し性懲りも無く「~麗しき昭和の頃 ~②」を書かせて頂きました。^^前回ブログでは、私の他サイトでも展開させて頂いている同記事含め、ご同輩による共感のコメントなど頂き誠にありがとうございました。同世代を生きて来た皆さんとひと時タイムスリップした感覚になり感激しました。^^昨今「あの時代は本当に存在し、自分はその世界で生きていたのだろうか?」など映画じみた思いにふける事もあります。いゃいゃ「雑で粗削り・毒を持って毒を制す時代?(笑)」だけど「温かく恩情に溢れる時代」…あの時代は確かに存在し、ご同輩と共に生き抜いて来た事は紛れもない事実なのです。あの時には戻れませんが心の奥底で常に「教科書」にしていたいと感じています。


    
  当時を彷彿させる昨年の桑田さんツアーでもお目見えした「お嬢」の「真赤な太陽」良い曲ですねぇ^^


また、昔を振り返りタイムスリップできそうな話題があれば記事にしてみたいと思います。
       その際は、ぜひ一読していただければ幸いでございます。


          本日も訪問ありがとうございました。