Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~小供の発想・大人の行動~

こんにちわ!

今日は少々重たい話に触れてみようと思います。
生活の中での「小供の発想」と「大人の行動」について書いてみようと思います。
あえて記事の中では親に対する、その「子供」ではなく成長過程としての表現で「小供」
と書かさせて頂きます。


さて、相変わらず「いじめ」や「体罰」「隠ぺい」等々、大人と小供の間で繰広げられ、
昨今も、某高校サッカー部の監督?校長補佐?が昭和の悪臭を放ち、祭り上げられました。
残念ながら言うまでもなく会見などの話している内容が理解不能部分が多い事もあり時間の無駄なので内容は割愛させて頂きます。一言でいえば「昭和の過去を引きずる残念な人」なのでしょうね。いや「昭和の」と言うのは少々、自分にとっても心外な気がするので「残念な人」で括らせて頂きます。どの時代の人間でも個人の「質」や「性格」「人格」などは大きいと思います。つまりは総じて「残念な人」なのだと思います。時代は関係ないですね。


以前に書かさせて頂いた記事で「ちょっといい話①③」と言う記事で野球部の監督の話をUPさせて頂きましたが綺麗事ばかりで行く訳ないのですが指導者の「思いやり」「指導」「立場」「信頼」などを履違えれば物事はとんでもない事に進展するという典型的な内容だと思います。




さて、今日の本題ですが「大人」とって「小供」は、いつまでも誰の子供でも上から目線に見がち・なりがちです。小学生などは、まだ世の中の仕組みや立場など理解できていないとしても中学・高校となれば凡そ「物事の良し悪し」「良い人・悪い人」「出来る人・ダメな人」は分別出来る年頃です。思うに特に40歳~の大人は自分に実績や自信などなくても「自分の生きてきた歴史」「年輪」程度の心境で「上から目線」になりがちですよね。もちろん全員では無いにせよ小供は小供で それなりの知識を持ち「少年法で守られている」「言うならやって見せてよ」「自分は出来るのか」などを盾に好きな事を行っている感もあります。特に問題が出る場合など大人と小供の間でバランスが取れていないのだと感じますね。やたらと中身のない大人が理屈っぽい小供に説法をし、聞く耳を持たない小供たちは好きなように解釈し犯罪までにもおよぶ。もちろん全ての大人・小供関係ではありませんが…


     


全てでは無い事ついでに「小供」は「大人」が考えているよりも強かで悪事を行う事にも、ある種、彼らなりの計算をしながら行い、逃げる事も隠れる事も理解した上で行ってる様にも感じます。もちろん全ての「小供」ではない極一部かもしれませんが感じますね。つまりはそこらの教師は勿論、そこそこの「大人」など手に負えるわけの無い悪党みたいな「小供」もいると言う事ですね。


逆に「大人」はと言うと、私自身も含め日常の中での「お粗末」を見直さなければ「小供」に対して「説法」など出来ない事を今一度、見つめ直す時期なのかもしれませんね。
桑田佳祐さんの楽曲「世紀末カルテ」の中に、こんな一説があります。


         「幾つになっても未熟な自分を愛しく思ってる。
           そんな大人が幼い我が子に道を説いている」 
                
                 耳が痛い一説です


①道路を斜め横断を平気で行う年配者 ②飲食店で自分の大声や笑い声の迷惑に気付かない方 ④コンサートライブ時に子供を肩車する方 ⑤タバコのポイ捨て ⑥公衆で携帯電話のでかい声 ⑦スマホの「ながら」行為… ets


この迷惑行為を行う大人たちは自己の中では大枠「迷惑行為」に気づいていないモンスターでもありますもんね。もちろん一部分の「大人」に限られると思いますが、自分では気付かない迷惑などにも一層注意していかなければ「小供」に対する言葉も遠く届かぬ言葉になってしまうのだろうと、あらためて思う今日この頃でした。


サザンオールスターズの曲で「夢と魔法の国」と言うシリアスな曲があります。
お聴き頂く前に触れておきますが、この楽曲は実際に桑田さんが関東圏のネズミーランド?(笑) などで経験した事では無く、あくまでも「創作」。今回、上段で書かせて頂いた
「迷惑行為は気を付けましょうよ」「気持ち良く楽しくやりましょうよ」
「自分で気づいてますか?」というメッセージが込られていると思います。


  
  夢と魔法の国


まぁ、何にしても「大人」が生活の足元や感覚・言動を振り返り、見直さなければ「小供」への説得力や、ましてや指導・説法など出来るはずがないと思う反省の日々でした。



本日もありがとうございました。