〜麗しき昭和の頃 ⑲〜
訪問ありがとうございます!

想い出せばキリの無い「麗しき昭和の頃シリーズ」です。今回で19回目に成ります。
別サイトブログ内含め温かいコメントなど、ありがとうございます。それぞれ、ご同輩皆さまの脳裏に浮かぶ昭和のシーンや体験・当時の感覚は「昭和の戦士」として「同じ目線・同じ匂い」の中で過ごされて来たのだと思われ大変嬉しく感じたと共に、あの夢の様な「雑だけど温かい時間」は、紛れもなく流れていたんだと、あらためて実感する次第です。
【通学路】
学校への通学路、いつも同じ道を同じ友人と行き来していた事を思い出します。個人的には小学校時代は学校へ行くこと自体が常に新鮮だったのか?楽しかったのか?強く印象に残っています。進級するに伴い通学路を行き来する友人の顔ぶれも変化します。時折、新旧の友人が織り交ざり異色メンバーで構成される事もあった。つまり「友達の友達は皆友達」だ
^^雨の日も風の強い日も雪の日も暑い日も寒い日も 同じ道を通り登下校をします。そんな中で印象的だったのは忘れ物をしてしまい、1時間目が終わったあたりで家に忘れ物を取りに行った時などです。通い慣れた道なのですが人通りも少なく店の開店準備をする大人たち、人けのない何処となく淋しげな公園、外から聞こえる学校のチャイムの音などなど、今まで見たことのない風景がやたらと新鮮に感じました。そしてまた通い慣れた通学路を通り学校に戻り教室に帰ると、そこにはいつもの日常がありました。当たり前のようですが、何か違う街・世界に行ったような不思議な感覚に陥ったものです(笑)

【跳び箱】
体育の授業で運動神経が明確に分かれる内容は数あれど中でも明確なのは「跳び箱」ではないでしょうか?現在も「跳び箱」の形状に変化は無いと思われますが昭和の跳び箱は全て重たい木材で出来ていて跳び台の部分は「マット運動」の厚い布?若しくは「柔道着的布?」で覆われている訳です。これを体育係は体育館や校庭に「電車ゴッコスタイル?」にて運び手前の「ジャンプ台?」と共に設置する訳ですね。重たかったなぁ(笑)特に下段に成れば成る程に大きく重く枠の中に3人位入って運んでいた記憶があります。例えば小学校の高学年ともなれば3段・5段までの跳び箱ならばクラスのほとんどの生徒が飛べるが7段8段ともなると60%程度に減り9段、10段ともなれば、全校でも数人しか飛べないのではないだろうか?即ち10段を飛べる生徒はクラスは基より全校からも一際注目を浴びる存在なのです。私の場合7段くらいが限界でジャンプしたは良いけれど跳びきれず跳び箱の上に馬乗りになり降りるのも怖かった記憶があります(笑) なんとも情けない記憶です。

【上履き】
今も昔も校舎の中に入るのにはクラス毎に用意された「下駄箱」で「上履き」に履き替えてから教室に向かう訳だが多くの上履きのデザインは足の甲の部分にバンドが通り白い上履きが一番ポピュラーだったのではないでしょうか?男子は履いている内に踵を踏みつけて潰したまま履き先生から注意されると「小さくなったんです」と言い訳。また綺麗好きの女子に関しては「洗いすぎ」により甲の部分の「ゴムバンド」が「ヨレヨレ」になっている生徒もいた記憶があります。また言うまでもなく甲の部分の「ゴムバンド」に名前を書く訳ですが水性ペンなどで書けば当り前ですが油性ペンであっても自然と文字は滲んできてしまい名前だか?模様だか?分からない状況になっている友人をよく見ました(笑) 中学生位になるとスポーツブランドの「adidas」や「puma」が大流行で白い上履きに3本線を書いてみたり豹なのか猫なのか?分からない絵を「puma」を意識して書いてみたり…都度、先生に注意されたが書いてしまったものは仕方なく容認されていた記憶があります。しかし最終的には名前同様に滲んでしまい「模様」になってしまった記憶があります(笑)

今回も「麗しき昭和の頃」最後までお付き合いありがとうございました。不思議なもので遠い昔の幼少期に体験した事や交わした言葉は全てではありませんが鮮明に覚えている事が多くあります。おそらく当時に起きる毎日の出来事は、真新しい綿に鮮やかなブルーのインクをスポイトで一滴一滴垂らしたような新鮮であった事は間違いないようです。今の子供たちが「スマホ」「デジタル」「ゲーム」の中で育ち大人に成った時にどんなインクが心の綿に残っているのか?は闇の中ですが、繰り返しになりますが私自身は昭和という「雑でいい加減だが温かい時代」を過ごせた事はとても良かったと感じています。
流行りましたね~ 最後の「お経」が印象的でした^^
本日も最後までお付き合いありがとうございました!
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