~桑田佳祐 歌詞の世界 30~
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毎度、自己目線で恐縮ですが性懲りもなく「桑田佳祐 歌詞の世界 30」を書いてみようと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが創る楽曲の歌詞に的を当て、少ない情報による背景や事実と共に「個人的見解」重視で ^^ 歌詞の一説に触れてみたいと思いまして始めたシリーズになります。ファンの方は「あらためて」初見の方や桑田さんに全く興味の無い方も斜め読み程度にお付き合い頂ければ幸いです。今回は久しぶりに桑田さんの「ソロ楽曲」をご紹介させて頂こうと思います。ご存じの方・ご存じない方も、対象の楽曲を「spotify」「Apple music」或いは「CD」などで聴きながら読んで頂けると幸いです!
(ジャケ写真は全てサザンオールスターズ Official Siteより)

【飛べないモスキート】(アルバム:孤独の太陽)1994/09
「現代(今)では着れない ガラスのタキシード愛する女性のため」
モスキートとは、言うまでもなく「蚊」である。創作当時30代の桑田さんは「差別」や「いじめ」などにも手を差し伸べていた。「生まれた時代に飛べないモスキート、己を守るため」まさにいじめの中で、生き抜こうとする子供たちを歌っている様に捉えます。また、「atAgainst AIDS」などのチャリティイベントもスタートさせたころだ。当時、深刻なAIDS問題に対して桑田さん流の切り口で活動していた印象がある。ミスチル桜井氏とのコラボ曲「奇跡の地球」は、あまりにも有名だ。これは今回の対象楽曲からは「生命をつなぐ赤い川の水、絵になる美談はどこ吹く風」などにも繋がると捉えた。桑田さん自身は少年期にいじめられた経験はないと想像します。しかし、依然として無くならない「いじめ問題」に対して大きな理不尽を感じていたようにも感じます。集団で個人を追い込むいじめ。被害者の声を「蚊の鳴くような声」にイメージしたのではないだろうか?

【誰かの風の跡】(アルバム:Keisuke Kuwata) 1988/07
「ためらいがちな言葉で別れを告げて 歩き出す道は もう違うねと」
夏の切ない恋の終わりを歌い上げた名曲ですね。桑田さんの歌詞は何故にこんなにもリアル感があるのだろうか?自身は全て空想と言っても過言では無いと流すほどだが歌詞の主人公の思いや感覚・感情などが、ひしひしと伝わる。「ためらいがち」とは何かの事情により「別れをつげた・告げられた」のだろう。勘繰れば予期せぬ「すれ違い」の様にも受け取る。つまり離れたくない気持が未だに有り、嘆く様が痛い程に浮かぶ。同時に「他人の空似」というワードが拍車をかける。確かに好きな人や未練が残る事はどんな場面にも自己の中に登場し浮かんでは消える。そして最後に「青春のしらべ」で括る訳です。心踊る出会いがあり、切ない別れが訪れる。誰にも経験のある一幕をなぞった歌詞だが、あらためて思い浮かべると別れる事は、人々が成長するには欠かせないプログラムなのかもしれない。

【どん底のブルース】(アルバム:ROCK AND ROLL HERO)2002/09/26
「街の裏手にゃ汚泥の河川 ビルの谷間にゃゴミの山、都会のオアシスの外は灼熱の島
(ヒートアイランド、どうせ死ぬのさこの俺も 現在が良ければそれでいい 他人や地球がどうなろうと構わない」
楽曲全体は総じて「社会問題」がテーマだが挙げさせて頂いた部分は言うまでもなく昨今の環境問題。桑田さんは嘆きを躊躇う事無く言葉にして政治家や世間、大衆にさえも叫んでる感があります。一方で「自分も大衆の1人」としての情けない感覚にも窺われ出口の無い「環境問題」の重々しさが非常に感じられる。確かに自分たちがこの世を去るまでに大変大きな不備が起こるかと言うと実生活の中では、そうでもないのかも知れない?何とかかんとか?生き延びていくのだろうと思うと現在の大衆一人ひとりはどこか無頓着になりがちなのも致し方ない。つまりは「無理のかからない程度の自分の出来る範囲」を行動する事程度なのだろう。しかし我々が消える半世紀以上が経つ頃、水・電力・交通などにおいて孫やひ孫、その次の代にい来る人々は環境問題に対する多くの規制が彼らを悩ませているかも知れない。やはり我々の代で抜本的な見通しをつけなければならないのかも知れない。桑田さんが皮肉めく様に「今が良ければそれで良い」は御法度かもしれない。

【ONE DAY】(SINGLE ※kuwata band)1986/11
「よくある 涙のSTORY. 乱れた夜の果てに Uh 思いでばかり 心に残る 忘れじのMy Love」
KUWATA BANDの4枚目のシングル曲として有名な「ONE DAY」は当時の若者のカラオケバラードでも多く歌われていた記憶がある。前奏から物淋しさと切なさが合わさり「雨が…」で始まる悲しい楽曲の様に感じる。内容は切ない別れの歌。男女の別れの場合、女性は意外にサッパリしていて男性は引きずると言われる。この歌詞の中でも、よく在りがちな男女が別れた後で幸せで楽しい日々を走馬灯の如く振返り「出来る事ならば戻りたい」といった思いも大いに伝わる。おそらく一般的な恋愛の終わりは何処にでもあり珍しくない事なのだろう。しかし個人・自分自身の中での「特別な悲しみ」なわけである。多くの人々は、「よくある涙のストーリー」を体験・経験しているのだと思う。その「ストーリー」は自分が主役を務める自分だけの物語で人其々に色も構成も違う物語なのでしょう。時が経ち、人其々が成長して昔を振返った時に「人には言えない秘めた思い出」となって墓場まで持っていく事に成るのでしょうね^^それはまさしく「忘れじのMy Love」なのだろう。

【本当は怖い愛とロマンス】(SINGLE)2010/08/25
「男の些細な仕草が 女は我慢出来ない 出逢った頃と違うよ
裁くチャンスを狙い澄ましてる」
この楽曲は「失恋ソング」には違いないのだが暗くはなく、ドロドロ感も無い様に受取る。「己惚れた男の最後」を歌い上げた内容なのではないだろうか?女性との付き合い、やがて「この子は俺に惚れている」と自惚れ、すっかりマウントを決めたつもりで付き合ったが実は女性は嫌気がさしていた…そのようにも受け取れる。挙げさせて頂いた一説は、その様な一面を強かにしっかりと女性は見逃す事無く見届けていて、ため息交じりに愛想を尽きる時が訪れるのだろう。「裁き」はいつでも出来るが女性の中では、まず自分の気持ちを整理して機が熟した時に切れ味良く調子に乗っている相手に突きつけるのだと言いたいのだろう。故に女性は「後を引かない」いきなり告げられた男性は後ろ髪を引かれるのだろう。そんなケースばかりでは無いにせよ、女性の方が割切りがよくしっかりしているのは頷ける^^
如何でしたでしょうか?
「~桑田佳祐 歌詞の世界 30~」書かせて頂きました。今回は久しぶりに桑田さんソロ楽曲を書かさせて頂きました^^感覚的なものかもしれませんが、サザンオールスターズの楽曲とは異なる桑田さん個人の「個性」が感じられる気がします。また、初期の作品は、昨今の新しい作品とは違い、荒削りな桑田さんの感性がにじみ出てるようにも感じます。全てではありませんが個人的には、サザン楽曲を料理に例えると和洋折衷の創作料理。桑田さんソロの楽曲は町中華の油っぽい料理のように感じますね。
本日も訪問ありがとうございました^^

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