Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

〜麗しき昭和の頃 21〜

Southern

こんにちわ!

想い出せばキリの無い「麗しき昭和の頃シリーズ」です。今回で21回目に成ります。毎回に及び別サイトブログ内含め温かいコメントなど、ありがとうございます。それぞれ、ご同輩皆さまの脳裏に浮かぶ昭和のシーンや体験・当時の感覚は「昭和の戦士」として「同じ目線・同じ匂い」の中で過ごされて来たのだと思われ大変嬉しく感じたと共に、あの夢の様な「雑だけど温かい時間」は、紛れもなく流れていたんだと、あらためて実感する次第です。

【家庭訪問】

幼き頃の生活の中心は言うまでもなく「学校」だった。低学年では勉強も「難しいのか?簡単なのか?」「何のために勉強するのか?」よくわからなかった。(今でも勉強の意味は釈然としない 笑)そんな中で担任先生が生徒一人一人の自宅に出向き親と面談を行う「家庭訪問」があった。いつも教室でしか見ない担任が自宅の部屋に居る?何とも摩訶不思議な感覚を覚えた記憶がある。迎える側は大凡の場合、母が主。本人が居ると担任が話しずらい場合もあるのだろう。母はこの上ない社交界でも行くのか?と言わんばかりのオシャレと化粧。そして極め付けは普段は口に出来ない「ケーキ」「焼き菓子」などを用意して先生をもてなす訳だ。勿論、1日で多くの家庭を廻っている先生なので「ケーキ」「焼き菓子」に手を伸ばす先生は少なく?帰った後で兄弟で喧嘩しながら分けて食べたものでした。時代が時代が故に先生の持成しにビールとおつまみなどを用意する家庭もあったとか?(笑) おそらく「ゴマすり」で少しでも我が子を「良い子」、家族を「楽しく円満な家族」という印象を付けたかったのだろう。ハラスメントやらコンプラなどを背景に小学校低学年ですら生徒の名を先生が「◯◯さん」と呼ぶ昨今。未だ変わらないのは「親心」なのかも知れない。^^

       


【連絡網】
挙げて行けばキリがないが、昭和の頃の学校ルールには今では考えられない事が多くあった。「連絡網」もそのうちの一つ。現代ではスマホやPCを活用した学校からの「伝達行為」は当たり前だ。LINEグループなどを組み父兄で情報共有するのだろう。しかし当時は魔法の神機の一つに「電話」があった。何をするにも遠くに居ても用事を言葉で俊敏に伝えられるわけだから神機としか言いようがない。学校でも言うまでもなく電話を活用してクラス毎に隈なく情報を伝達・共有しようと言う訳だ。ちなみに昭和の頃は黒電話が「玄関」で「洋服」を着ているのも当たり前だった(笑)担任が通達事項のある際、男女出席番号1番の自宅に電話をして要件を話す。留守の場合は飛ばして次の人へ伝言。しかし留守だった家には責任をもって前の人が追いかけて伝える。いよいよ繋がらなかった場合は担任へ報告。後は担任的には出席番号最後の男女宅から連絡網完了の報告を待つのみだ。つまり「究極の伝言ゲーム」である。スタートからゴールに至り「赤いリンゴ」が「緑のミカン」に変化してしまう可能性もあるが当時は「何となく伝わる」「電話に出れなくとも隣三軒両隣」の法則で良かったのかもしれない(笑)中には連絡網の内容で長電話する母親も多くいた。そんな仕組みも「完璧」でないけど人間らしくて個人的には嫌いではない^^

      


【黒板とチョーク】
学校での授業において今も昔も変化が無いに等しいのは「黒板とチョーク」ではないだろうか?昨今はデジタル化されPC・タブレットなどを活用し「白板にマーカー」のスタイルも多い様だが「黒板とチョーク」はいまだに大活躍のアイテムだ。当時の黒板は「黒板」とは言うもののよく見れば「深い緑」の表面がザラザラした塗装で仕上げている。思い起こせば、人の目を引きたいが故に爪を立てて黒板を引っかき?「ぎぃぃぃ」という不快音で顰蹙を買っていた輩もいた。不快音の後には爪の白い跡が刻まれる。まさに「不快の爪痕」だ。補足的に付足すなら算数の授業などで大きな△定規を使用する先生が意図せず△定規を動かす際に「不快音」を出した記憶もある。先生は「失礼」と言いつつ授業を進めた(笑)チョークも白・赤・青・黄などの色があったが勿論、白が一番使用されていた。チョークとくれば相棒は「黒板消し」当時は木製に合成革の手掛け?縦じまの入った紺色ビロード生地のような?代物。黒板消し以外の活用方法は漫画やコントでの王道活用がある。教室前方の引戸を少しだけ開けて上部に黒板消しを挟む。何も知らぬ先生は教室に入る時に引戸の開くと同時に黒板消しは落下。先生の頭や衣服に直撃と言う原始的な悪戯である(笑)その後のホームルームでは「犯人捜し」を行った^^掃除の時間にはベランダで黒板消し同士をパタパタと叩きチョークを落としたが制服に大いに掛かり落ちなかった思い出がある^^

       


               如何でしたでしょうか?


本日も「麗しき昭和の頃」想い出のひとコマをご紹介させて頂きました。神様は何とも上手く人の体を創り上げてくれたものです。生きていれば良い事も嫌な事も皆平等に振りかかって来るのが人生。良くも悪くも時間が経ち、その時点に戻る事は出来ませんが脳裏に焼き付く想い出は翌日に消える事は無く水彩画のグラデーションの如く薄らいでゆくのです。そしてまた出来事と共に新しいクッキリした色で心の中に絵を残すという繰り返しな訳です^^
しかし想い出は、すっかり透明になるものもありますが、薄らぼんやり陽炎の様に心に残っている位がちょうどいいのかもしれませんね^^


    
       桑田さんもライブで良く歌われる楽曲ですね^^昭和の頃が蘇る代表作だと感じます^^


            本日も訪問ありがとうございました!