〜人生・あるアル〜
こんにちは!

人種や性格・価値観・環境などでモノの捉え方も大きく異なるとはいえ、人々の根本的な感情や感覚、モノの捉え方などは基本は同じ様に感じる事があります^^もちろん全てではありませんが、大きな枠の中では「あ~あるある!」的に目線が合う出来事や考えが多く存在するように思います。「涼しい顔をしていても心中は…」ってやつですね^^仲間と酒場で話題になる事も多い「あるアル事象」^^つまりは「人生・あるアル」思いつくままに書いてみました^^経験のある方も全くない方も少々お付き合いください!^^
【車(くるま)事情 入るは恐縮 入れるは舌打】
車を運転する方なら大枠経験あると思いますが交通量が多くとも右折しなければならない道をウィンカーを付けて待つ事で後ろが渋滞したり、高速道路走行中に出口の列とは気づかず先頭の方で合流せざる終えない場合など…待つ側 /合流される側の人間模様が浮ばれます。(もちろん「俺中心・私優先」といった根本的不愉快な感覚の輩は別)万人がと言うわけではありませんが、そんな時でも入れてもらう側は恐縮し「申し訳ないです」といった謙虚さを持ちます。しかしながら入れる側は仕方ないとは言え「並んでるのに!」「なんでこんな所曲がるんだよ!」…と舌打ちの1つもしたくなると言われます^^立場が逆転すれば当然逆の発想になるのでしょうね。やはりどこかで「俺中心・私優先」の「輩感覚」までとは言わないが人間は自己中心的な感覚を常に持っているのだなぁ…と感じる次第です^^

【公共で うるさい会話 我にあり】
以前に「~大人のマナーと反省 ~」記事でも書かさせて頂いた事がある話題です。
電車・バス・飲食店、人々が集まる公共の場で、まぁまぁ大きな声で話したり笑い声を上げている方を見受けます(隣国旅行者ではなく日本人)おそらく本人はテンションアゲアゲ状態で周囲の事など気が付いていない事が殆どで、その多くは多数人での会話が多いようです。こんな時も自分が一人でいる時に遭遇した場合は「うるさいなぁ…何であんな大きな声で…」とくるわけです。しかし自分も複数人でいる場合に気付かぬ内に少々声が大きくなったり・笑ったりと不快感を誘っている感はぬぐい切れません。これは「集団心理」が働き人の心はテンションと共に周囲の事が見えずらくなりモラルやルールが半減してしまうとの事です。それに加え「地声の大きな人」は輪を掛ける訳です。しかしその「地声の大きい人」も一人の時は「被害者」になっていると言う事です^^気を付けなければなりませんね。
【年配の 仮面を被るが 根は子供】
これもまた、以前に何かの記事で書かせて頂いた内容になります。この話題、結構共感多く抱かれる方が多くいらっしゃいます。訪問頂き、読んで頂いている方の多くは「鉄腕アトム世代(前後)」ではないでしょうか?そうなると私自身も含め気取っても年配者である事は事実。職場や世間・近所に対して見た目・人に与える印象は「いい歳をした年配者」である事は事実であります。また自身が親であれば子供に対して「人の道」など解いたりもする訳です。しかし実際はいつまで経っても未熟な自分が心の奥底に潜み生活の中で時折、花を咲かせます^^気持のどこかに遠い幼少期や青春期辺りの自分が潜み頭の中で旋回している。洋服の趣味などは歴然だ。その感覚は自分でも何処か恥ずかしく?心の引出しにしまっておき、結果それなりのもの(歳相応のモノ?)を購入したりしている。なんなら子供の頃に欲しくてたまらなかった玩具などもネットで見かければ,くだらないモノでも目に留まる^^おそらく同じ感覚でいられる方は多いと思います。歳を重ね「いい大人なんだから」という鎖を認めざる終えない実年齢と容姿が抑制しているのでしょうね。これは80歳90歳になっても変わらない感覚とも聞きます。「人は成長すると共に大人の仮面を被るが根底には子供の自分が存在する」と受取とる訳です^^一方で「いやいや、俺・私は気にしない!自分の思うままに表現(行動)する!」という方も少なくない。基本的にはそれで良いのだろう。

てな事で「あ~そんな事・あるアル!」と頷いて頂けた方、そうでもない方、様々かと思います。今更ですが基本的に人々の発想や感覚は粗、同じである事は当然なのかもしれません。故に「混む場所は混む・空いている場所は空いている」当り前の事かもしれませんが、全てどこか同類の発想があるからなのでしょう^^取分け同年代ともなれば口にこそ出さないが大枠の面々は同じ様な感覚と発想で生きているのだと思うと「なんだ・皆そうなんだ」と頷けたり、時には安心したりする今日この頃です(笑)
本日も最後までお付き合いありがとうございました!
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