~ハラスメント?~
訪問ありがとうございます!

巷では途切れる事のない話題やブームが蠢いています。一つの事件・出来事・話題が上がればブームは一気に押寄せ関心の無かった人々も話題に便乗しなければ「時代遅れ」とレッテルを張られてしまいます。そんな「あんな事・こんな事」に的を当てて例の如く「自己発想・自己満足」の視点で書かせて頂いているシリーズに成ります。様々なご意見が有ろうかと思われますが少々お付き合い頂ければ幸いです^^
時代の変化とは恐ろしいものです。「鉄腕アトム世代」の人間たちには当たり前とされてきた生活の常識が「不適切にもほどがある」と言われている時代が訪れているのである。確かに言われてみればおかしな話ばかりだったが「それが世の中だ」と刷込まれていたように記憶する。そして、ついに「◯◯ハラスメント」と言う名の危険信号が設定されたのである。その中でも昨今、浮上してきた商売を的にした「売り手と買い手」の間に生じる「カスハラ」(カスタマーハラスメント)にフォーカスしてみたいと思います。

一概には言えないが人は、お金を出す時に払う相手に上から目線で捉える事が多く見受けられる。商売のルール設定から言えば強ち間違いのない事ではある。「お客様は神様です」と言った伝統が日本にはあるからだと考えます。その感覚こそが、たかだか500円の弁当を買う人間も「俺・私は神様」といった認識を高めてしまうのでしょう。あるいは何も抵抗できないことを理解した上で酒の力も借り気が大きくなりタクシー運転手などにも暴行を加えたりする「俺・私は神様」が存在している様です。将又、スーパーなどで何て事の無い定員の一言一句に突っかかり日頃のストレスを晴らしている「俺・私は神様」も多いと聞きます。また「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と言ったワードが「俺・私は神様」達に拍車を掛けているのかも知れない。一方で個人的には「〇〇ハラ」において懸念されるのが被害者と言われる側の言葉遣いや態度、仕草や性格、人間性などが気になる事もある。
一般的には10対0、悪くとも8対2辺りで、被害者は被害者なのだろう。しかしながら我々は事象においてメディアで流れている情報を「全て」として上辺を受止る事が多いと感じる。実態は被害者側の態度や言動、引いては性格などにも露呈しない問題が有ったりするのかも知れない。皆さんも間違いなく経験があると思いますが、現に態度の悪い店員や売り子、運転手、駅員、医師、看護師などわんさか居る。つまりは「俺・私がやってあげてる」感覚の輩だ。そんな連中が「俺・私は神様」の導火線に火をつけている様な事も無いとは言えない。これは他の「ハラスメント」にも大いに言える事だ。まぁ、そうは言っても事を起こす方々は精神的に病んでいる・若しくは残念ながら「昭和を生きた感覚」がなかなか脱皮できず感情のまま生きている方々の様に受取ます。もちろん「被害者の仮面を被った輩」の理不尽疑惑も大いにありますが、総じて令和の時代「それもこれも含めて飲み込む姿勢と感覚」が求められるのかもしれません。そして甚だ理不尽だろうが「時代遅れ」になれば、なるほど自身の苦労の色が濃くなっていく様にも感じます。つまり不本意ながら「長いモノ(世間や背景)に巻かれる」精神も現代を生きる中で大きく求められることなのかもしれない。
最後になりますが私は「ハラスメント」の罰則効力は与える側、受ける側が両者ともに基本的には「常識人」である事が前提だと考えます。すると「常識人同士はそんなこと勃発しないよ!」と言う声も聞こえてきます。もちろん一概には言えないが「常識人」でも勘違いや差し違い、気付かぬ事はあります。当件に限らず大きな事を起こすのは大枠、与える側も受ける側も「自己中心的で理論が通じない輩」が多いのではないでしょうか?その人々に「ハラスメント」も何も通じる訳がありません。つまり「不毛な警告」に過ぎない事になるのでは?と、懸念が尽きない次第です。そして「通じない輩」は性格・言動について「正常」と胸を張り自己評価している所が面倒な事に拍車をかけているのだろう。
本日も訪問ありがとうございました!

このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。