Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~理不尽を飲み込む方法 ②~

訪問ありがとうございます!

先日「理不尽を飲み込む方法」を書かさせて頂き当、他ブログ含めたコメントや、リアルな場での意見含め様々な意見を頂きました。ありがとうございました。やはり皆、同じ様な事で同じ様な人から理不尽を受け、苦労されているのだと痛感した次第です。


今回も「~理不尽を飲み込む方法 ②~」として答えは出ないかもしれませんが「理不尽」とは何なのか?何が引き起こし気分を憤慨させるのか?をより深堀してみたいと思います。
遭遇した際の具体的な回避策(ないかなぁ(笑))や理不尽が育つ過程などが理論上分かれば怒りも半減するのではないかと言う非常に難しい話をあえて整理してみたいと思います。
お付き合いいただければ幸いです。


さて前回のおさらいですが、相手ありきの「理不尽事象」に出会った場合の「その場凌ぎ作法」や「自己満足思考」による構え方、理不尽は「人を見極めるための ツールアイテム」という「前進的解釈」などに触れさせて頂きました。どの様なシーン・人物に対人的理不尽は起こるのか? 幾方より様々ご意見も頂きましたが、いくつかチョイスさせて頂ました。


① 人は皆、自分が可愛いから可笑しな事をしてでも潜在的に自分を守りたがる。
② 特に「承認欲求(認められたい)」が強い人のアクションなのでは?
③ あゝ言えば、こう言いたい質の人。つまり「理論好きの人」に多い
④ 重度の「負けず嫌い」の人が表面化してるのでは?
⑤ 「正義」と言う名の「お節介」をする偽善者に多い気がする。

                                 

まぁ、総じて「個性の強い人」なのでしょうね。しかし逆に「知らぬ内に加害者にならない様に気をつけている」と言う意見もありました。これは非常に重要な事の様にも思いました。何故なら所謂「個性の強い人」も「加害者意識は無い」のではないかと想定されるからです。いゃ、加害者意識など、ないでしょうね(笑) また仕事をキチンと遂行しているという「自己満足」で自分を慰めているという意見も頂きました。しかし私は慰めているのではなく、その方の「自信」や「やってる人間」のプライドが一回り大きく「理不尽さん」を気持ちの上で上回割る事が出来ているのだろう解釈しました。とても理想的な事だとも感じた次第です。確かに「理不尽さん」には同等の目線では不快しか残りませんもんね。


また「人はみな自分が可愛い」にも触れておきたいと思います。
「理不尽の手前」には必ず上記項目①が大きな要因としてあるのではないかと考えます。「自己意見を通したい」「人の意見を認めたくない」「自己プライドを壊したくない」などの言動が「理不尽さん」に拍車を掛けているのでしょう。残念ながらご本人は、その辺の言動を「正当」と自己の中で都合よく解釈し「平静」でその場を過ごすのでしょう。となれば、全員とは言いませんが、その後「理不尽さん」は帰路に着こうが、そのまま一杯行こうが自分が他人に「不愉快な思い」をさせた事など意識は無いに等しいのだと思われます。なんなら「言ってやったぜ・やってやったぜ」の気持ち良さに酔いしれている可能性の方が高い事でしょう。つまり「理不尽さん」に対して「改善・謝罪の期待」などするだけ損だというわけです。少々乱暴な言い回し・解釈かもしれませんが、これが実態のように感じます。

      


最後に成りますが、では「理不尽さん遭遇の際」自己の「心の捉え方」はどうするか?
前回の対策では、「外国人だと捉える」など抽象的かつ慰めでしたが、今回は前段述べた事などを中心に、現実的に踏み込み一言で言い表してみたいと思います。


              「相手にしない」


この一言には、様々な思いや、悔しさなども入り、気持ちは錯綜すると思いますが究極は「相手にしない」と言う結論かと感じました。「相手にしない」→とにかく必要以上の話題や関係に触れないと言う事でしょう。「距離を置く事に意識する」理不尽行為が始まったなら「シレッとその場を笑顔で去る」マシンガンの如く始まったなら「でも」「しかし」「それは」は御法度。何故なら無意味だからです。職場ではそうもいかない関係があると思いますが「理不尽」が始まったなら、とにかく冷めた感覚でその時を過ごす。後の「理不尽ストレス」の捉え方は一言「哀れな人だ」です。つまり仕方のない事に腹を立てても損ばかりで現実を受止めてみれば流せる可能性が高いのではないでしょうか? 1歳児に「ウンチはトイレでしなさい」と言っても通じる訳が無いと言う事ですね。紙おむつでフォローするしか方法はないわけです。気を付けたいのは前文での頂いたご意見にもありましたが「知らぬうちに自己も加害者に成っている可能性」「自己に1ミリも悪の無い本当に理不尽な事なのか」この辺は常に自己の中で分析・把握し「理不尽さん」対応に結び付けばと思います。


総じて加害者要素で言えば、おそらく全ての人々に多かれ少なかれ「頻度や濃度・毛色の違い」は違えど「理不尽性」の要素を抱えながら人間生活を過ごしているのでしょう。
とはいえパートナーや親友、親子などによる時折押寄せる「信頼関係のある理不尽さん」に関しては「一山超えた冷静時にあらためて訴える」と言うのもアリかもしれませんね。


今回は「理不尽を飲み込む方法 ②」いつもの様に「言うだけタダ」の域でモゾモゾと書かさせて頂きました。(笑) ご意見・ご経験あれば是非!^^


本日もありがとうございました!