Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~理不尽を飲み込む方法~

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今回は「理不尽に対する捉え方」について書いてみようと思います。
もちろん、皆さんも経験あると思いますが「こんな理不尽な事ないよ!」「理不尽すぎて許せない!」など様々な体験があると思われます。さて、この「理不尽 事象」なぜ起きるのか。毎度ながら私見なので適当に流して読んでください。皆さんも「腹立たしい理不尽事象」については、かなりの経験があると思われます。既に今日、昨日、一昨日にも「理不尽」に襲われ悔しくて眠れない夜を過ごされてる方もいらっしゃるのでは?と思われます。まずはパターンやケースで内容は異なると思われ上げたらキリがありませんが「こんな事が理不尽と言うのだろう」という例を「軽く」想像で上げてみようと思います。


                       


          【理不尽例】(自己体験ではなく単なる思付き)


・上司に「適当にやっといてくれ」と言われ自分なりに汗水流し業務を進め、成果が出た仕事。その成果が経営層に認められ「適当にやっといてくれ」上司が呼ばれ昇格。「適当にやっといてくれ」上司は悪ぶれるでもなく「当然」の顔。   理不尽だなぁ~^^


・車の走行中に老人が横断歩道を渡らずにヨロヨロと車道を斜め横断。危ないのでクラクションを鳴らすと歩道のご婦人「大きな音出すと驚くじゃない!」と切れる。斜め横断の老人は何事も無かったかのように斜め横断にて渡り切る。    理不尽だなぁ~^^


・警察の取締まりにて。「ここは9:00~12:00バス占有なんですよね~。減点・罰金に成ります」「この道初めてなのですが、標識ありました?」「ありますよ、ホラあのビルの横に木があるでしょう?あの横にあります。見落としました?」「と言うか、木の茂みで見えないですよ?」「それは警察の管轄じゃないんですよ。市役所にでも抗議してください」 
                            理不尽だなぁ~^^

     

一般的に「理不尽事象」と言うのは誰にも罪はなく事の流れで自分が理不尽な立場に立たされていることも少なくありません。しかし大枠「相手ありき」の事に成るのでしょう。また理不尽を振撒く方は自己では「常識人」意識を持っているつもりなのだが実は非常に「個性」の強い方なのではないでしょうか。「理不尽」とは常に自分本位の立場の強調という「身勝手」が基になり生じる事が多いのでは?と感じます。当然と言えば当然ですが、この「相手の身勝手」を相手は「身勝手」と思っていないのがミソになるのでしょう。「これは不条理で申し訳ない展開だな」と相手が感じた時点で何らかの「納得心」や「共有心」が生まれる訳です。そういった状況であれば「心が痛むほどの理不尽」を味わわず「まぁ、致し方ないかぁ」的な感覚すら生じるのではないでしょうか。では、どのように「理不尽事象」に巻き込まれた際に心穏やかに気持ちの平常化を保てるのでしょうか。相手ある話が故、非常に難しいと思われます。「その場で大声で抗議する」この様な方は少なくないのでは?と思います。しかしサザンの楽曲「私の世紀末カルテ」にもありますが「腹から怒鳴ると変わり者だと避けられる」その通りですね。残念ながら世間の常識です。「仕返しで同じ事をやる」これもチャイルディッシュで現実的ではない・・・自分がハートスケールの大きな人間に成ればよいが、気分が抑えられないのは理屈ではない。どうすりゃいいのだろうか!!!


そんな訳で「相手ありきの理不尽」気持ちの上だけの「安静」を苦肉の策でいくつか挙げてみました。私自身、①~⑤全てにおいて実施の自信が無い事ですが、どうでしょうか (笑)


① 対象者を可哀そうな「病人」だと思う。精神がズレた「病人」「治療中」だと考える
② 対象者を他の国の文化で育った異国人だと思い「ここは日本なのに」と自分に擦り込む
③ 相手は正常だが自分の精神状態がおかしく疲れている。医者に行かねば・と思いこむ
④ 様々な角度で自分は「試されている」と、ある種、宗教染みた考えに一時的になる
⑤ 逆に相手側は自分に対してどんな感情か?を読み、只管に「理解してる」と思い込む


様々書いてみましたが、どれも「慰め」「諦め」「自己満足思考」にしかならないアクションで根本的解消にまなりませんね(笑) しかし逆に言えば「自己満足」が「理不尽事象」に対しては特効薬なのかもしれません。少なからず相手方は「申し訳ない!私が変人的でした」など語る訳もなく期待もできないのです。もちろん目に余る理不尽は後はどうあれ大声を上げ、机を叩くのもいいでしょう。しかし日常繰り返される職場、家庭、ご近所の中では上記「自己満足思考」が一番、手っ取り早く自分にとって気持ちの良い処理なのではないかと感じる次第です。最後に成りますが、総じて理不尽とは「人を見極めるための ツールアイテム」だという解釈が前進的発想なのではないでしょうか^^


     


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