Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~心に刻む 東日本大震災 2011~

こんにちわ!

あの日から既に11年もの月日が流れているのですね。「東日本大震災」
あらためてまして被害にあわれた皆さまへ お見舞いを申し上げるとともに
無念にも犠牲になられた皆様へお悔やみ申し上げます。


2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒に皆さんは何をしていましたか?
昼過ぎなので務めている方は昼休みも終わり午後の業務に就いたり、小さなお子さん
がいらっしゃる方は、お迎えの時間ではなかったのでしょうか? 発生した時に
現地はもちろんですが関東~関西まで日本列島全体に大小の影響がありました。
私は関西に居ましたが福島とはかなり離れていましたが大きな揺れが長く続いていた事を
鮮明に覚えています。震源地・または近くの方は相当な揺れと恐怖だったことでしょう。
そこから日本全体が揺らぐような事になるとは、この時点ではあまりピンと来ていなかったのが現状だと思います。日本列島が大きく揺れ動いたのは地震発生後の約30分前後でした。思いもよらぬ巨大な津波が押寄せ多くの犠牲が出る事に成ろうとは誰も予測できなかったのではないかと感じます。まるで映画や小説で読む世界が現実に現れた瞬間でした。


 写真:株式会社アミューズより


地震直後、おそらく被害にあわれた方もあそこまでの大惨事を予測した方は少なかったと思います。不適切ながら例に例えると…朝の通勤時、少々強い雨の日に「ひどい雨だな…
大丈夫かなぁ…まぁ仕方ない駅まで急がないと…」といった「通常的危機感覚」があったのだと思われます。まさか命を落としたり大惨事になるなど想像もできないわけです。
ところが外に出て駅まで歩く間に雨はどんどん強くなり思いもよらぬ見た事も無い洪水が
起こり巻き込まれてしまうような・出来事たったのではないでしょうか?
つまり このような事は誰の感覚にもある訳で「無防備」とか「無警戒」とかの問題ではなかったのでしょう。自分もその場に居て家族が居残って居る事が分かって不明だとしたら
危険サイレンなど無視し家族の確認のために急いで家に戻ったりしていたと思います。
とにかく本当に残念で悲惨な出来事だったと思います。
私は東京近郊に住み停電・断水・ガソリン入手など限られた不備はあったものの周囲含め
大きな被害があった者ではないので偉そうに言える立場ではありませんがこの様な事は絶対に風化させてはいけないと心から思う次第です。時期が来るとTV各局が特番を組み放映して頂ける事もとても大事なことだと思います。見た目や年月の経過で「何となく落ち着いてきたな…」なんて感覚も囁かれているようにも受け取りますが、東電・原発問題含め
まだまだ復興は進んでいない状況だそうです。まだまだ日本全体の協力が必要ですね。
また、コロナ対応同様に国がやれる事や対応の内容・スピードはなんとなくわかりました。
おそらく各自の中で体験や身に着けた知恵を生かし同じ様な災害が起きた時は迅速で的確な
対応ができればとも思います。


日本の元気な未来へ みんなで立ち上がれれば最高ですね!



サザン・福山・BIGNなどが所属するプロダクション「アミューズ」が一体になって「東北」
に向けて作った「元気ソング」です。


本日も訪問ありがとうございました。