Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~麗しき昭和の頃 ④~

こんにちわ!


「~麗しき昭和の時代 ③~」に引続き性懲りもなく④を書かせて頂こうと思います。
いやはや、思い出すとキリがない「昭和の思い出」を思い立つままに書かさせて頂いています。ついつい書き込み過ぎましての「長文記事」お許し頂きお付き合い頂けると幸いです。ご同輩に置かれては当記事以外にも「あれも有った」「これはこんな感じだった」など振り返りもきりなく出ている事と察します。戦後の「雑で適当性の強い時代」でしたが「恩や情」に満ちた「温かい時代」でもあった事は間違いないと思います。


【デパート】
所謂「百貨店」ですが、当時「デパート」とも呼んでいました(現在も?)つまり「デパートメント・ストア」である。この呼び名が当時はハイカラなイメージで大衆は魅力を感じていたのかもしれません。「あそこは特別な場所」というイメージも高く「デパート」に買い物に行く際に家族は普段着ない様なオシャレをして出掛けていた記憶があります。子供は白いタイツを履かされ母親は着物かスーツ。父親はスラックスにジャケットと言った出立。
「デパート」には何でもありました。但し、大人の買い物の時間が長く「おもちゃ売り場」にたどり着く時間が相当長かった記憶があります。おもちゃ売り場では例のサルがシンバルを叩き時折歯を剥き出しで笑うおもちゃ や、プラモデル、リカちゃん人形に、見た事もない様な大きなぬいぐるみ、コップの水を延々と吸う「おじぎ鳥」などがおもちゃ売り場を賑やかせていました。当時はクリスマスや誕生日でもなければ大したものは買って貰えませんでしたが「おもちゃ売り場」の音や匂い、雰囲気が大好きでしたね。昼時はもちろん上層階の「大衆レストラン」お決まりの「お子様ランチ」の御飯の山に立てられた「爪楊枝の日の丸旗」は何の意味を示していたのか?謎です(笑) しかし美味しかった。楕円の銀プレートで出される「カレーライス」や、当時としては珍しい「エビグラタン」など異次元でしたね。そして何と言っても楽しみだったのは「屋上の遊園地」。これは小規模な遊園地であり、主には10円を投入して跨り動く単純な乗り物から、ダンボの上下する飛行機などの乗り物もあり子供たちには天国の地でしたね。また、普段は簡単に食べる事の出来ないソフトクリームがありました。屋上で食べる「ソフトクリーム」は格別で今にして思うと「コーン」がシナシナで湿気っていたもののそれがまた逆に美味しかった記憶があります。昨今は老舗百貨店などが時の流れと共に需要が減り閉店に追い込まれています。おそらく「あの時・あの時代」だからこそデパートは「特別な場所」だったのでしょう。今でも都内の老舗百貨店に行くと店内の老朽化は当時の思い出を思い起こさせてくれます。大事にしたいものです。

          


【教室の環境】
今や、凡その学校では冷暖房完備で教室環境は快適に過ごせているのではないでしょうか?
「昭和の教室」は違いましたね。特に1970年前半は「冬は北極・夏はアフリカ?」(笑) とでも言いましょうか?それはもう厳しかったですね。夏は窓を全開にして蝉の鳴き声と共に、大きな扇風機。日よけの白いカーテン。ランニング姿の少年生徒が汗だくで下敷きを団扇代わりにパタパタと涼んでいました。冬は石炭のダルマストーブ。小学校は給食ですが、中学校で「お弁当」になると時、3時間目が終わる頃からストーブ周辺にお弁当を置き温めて食べたものです。お弁当全体が上手く温まらず冷たい部分があるお弁当だった記憶があります(笑)教室全体もなかなか温まらず、時に生徒はマフラーまでもしながら授業を受けてましたね。暫くすると大型のガスストーブが各教室に入り何となくまともな室温になっていたと記憶します。それでも教室温度は真冬の日中で外気温5°程度に対して教室は10数°程度で決して「ヌクヌク感」は無かった様にも思います。しかし当時は当たり前だと受け取ってました。机や椅子に関して中学では流石にスチール製でしたがも小学校時代は「木製」でした。しかも机は一人用ではなく二人掛け用の机。帰りの掃除当番などの際、机椅子を一旦全部後ろに下げて前方を掃除する。そしてまた元の位置に戻す訳ですが小学生には二人用の木製机は重かったですね。しかし、木製机にも味はありました。以前使っていた諸先輩生徒が「彫刻刀」やらで刻んだ「落書き」ならぬ「落刻み」が刻まれ、それはそれで面白かった記憶があります(笑) 一番多かった印象がある「刻み」は「不人気先生のあだ名+バカ」が多かったように記憶しますね(笑) また「2人机」は好きな子と隣同士になった際には幼心に「近距離感」を感じ、何か幸せな気持ちだった事も思い出します(笑) そして授業中はとにかくサボること考えてましたね^^「シャーペンの分解」や「消しゴムをカッターで刻み」友達に投げてみたり、女子は「これ〇〇ちゃんに回して」と言って席の離れた友人に「手紙手渡し」を行ってましたね。そんな事で授業時間は過ぎて行きました(笑) 
      

【体育館】
体育館は学校には欠かせないもの。入学式、卒業式、学年集会、文化祭、予防接種、部活対抗試合などなど様々なシーンで活用される。凡そ体育館は校舎から離れた場所に位置し、集会などがある際は、長い屋根のある、すのこの引かれた道のりをゾロゾロと生徒たちは歩いて体育館に向かった記憶がある。以前に「刑務所の実録」的な番組で受刑者が朝、作業場に向かう際に同じような作りであると感じた(笑)そして「体育館の裏」も様々と活用されました。元気な輩の喧嘩の場所、愛の告白の場?(笑)などですね。おそらく「体育館の裏」は「誰もいない」と言うイメージなのでしょう。無造作に育った雑草や湿った土の匂い、誰が吸ったのであろうか?タバコの吸殻が落ちてました。「体育館の裏」には何か独特の情緒があるようにも感じました。当時、私は体育係と言う事もあり体育館での授業の後に「かたずけ」などで数名で残っていた事もありました。そんなこともあり個人的には誰もいない夕暮れの体育館が物淋し気で好きでした。どこの体育館も同じつくりではあると思いますが、重たい大きな観音開きの扉を開けると、何処までも高い天井に大きな水銀灯。バスケットのゴール。壇上の上には校章。両脇に赤黒の厚みのある横幕。体育館上部の大窓カーテンを閉める為の2階通路。そして壇上裏の薄暗い機器操作室。雑然とした体育道具やボールが収納されている奥まった倉庫。どれをとっても午後の柔らかな光が差し込む中で、人影もなくガラ~ンとした誰も居ない広い空間。あの整然とした何とも言えない「物淋しく暖かな感覚」は二度と味わう事が無いのでしょう。いや、正確には味わう事は出来ても「あの時のあの気持ち」で味わう事は無いのでしょうね^^ 

                       


【科学と学習】
昭和の頃、学校では学研の「科学と学習」と言う月刊誌が発売されていました。希望者は、学校で申し込んで発売日に近所の住宅に引き取りに行った思いでがあります。これは「学研のおばちゃん」という販売員の方が自宅を開放して引渡拠点にしていたのでしょうか?。将又、PTAが積極的に取り組んでいたのでしょうか?月に一度、決められた日時に近所の「学研のおばちゃん自宅」に引き取りに言った記憶があります。これにはいつも付録が付いていて「科学」は実験セットのようなものが毎回ついてきました。「学習」にも付録は付いてきますが「立体地図」などイマイチの付録が多かった事に対して「科学」は「水圧ロケット」や「簡易顕微鏡」「アリの巣セット」など特に少年心をくすぐる様なアイテムが毎回付いてきて男子には圧倒的に「科学」に軍配が上がっていた様に思い出されます。今にして想えば大した付録ではありません。しかし当時は「玩具らしい玩具」も「買えない」「持てない」「遊べない」の時代です。このプラスチックで構成された「実験付録」は本当に楽しみでしたね。また、当時は学校側も積極的に「科学と学習」を進めていた様に感じました。おそらく教育委員会などの「御墨付」までもあったのでしょう。現代の小学校ではパソコン・タブレットを用意する学校もあるとか?(購入するのか?)そんなデジタル時代に突入する中で「学研のおばちゃん」宅にて月に一度手渡しされる「科学と学習」は少年少女心に「お楽しみ感」を満載に感じる事の出来る「充実の幸せアイテム」だった様に感じます。

       

                                   写真:Gakkenより
【校門のテキ屋】
今や、小学校の周辺を 怪しげなおっさんが歩こうものなら四の五の言わずに「職務質問」ですね。昭和の小学校周辺はフリーダムでした。なんなら運動会の時などは学校周辺に、
テキ屋の「出店」が出ていて昭和の「寅さん」連中は自由に羽ばたいていましたね(笑) 
まぁ、それはそれで子供心に楽しかった思い出です。そんな中で「校門のテキ屋」覚えているでしょうか?売られている商品は「カラーひよこ」「ピンクの砂糖菓子型抜」「石膏の型抜」「液体で消えるペン」「アンテナペン(伸びるペン)」それはそれは子供心をくすぐるアイテムの数々でした。中でも「ピンクの砂糖菓子型抜」や「石膏の型抜」などは一回10円だかで夢中でやったものです。簡単に言うと3cm×4cm位のピンク色の薄い砂糖菓子に様々な形をした抜きガイドが入った板(砂糖菓子や石膏)を買います。綺麗に抜ければ、その型抜き模様に沿った景品がもらえる訳です。つまり難易度が高いモノであれば「高級品」が貰えるという設定。景品には当時人気のプラモデルや豪華なミニカー、大きなぬいぐるみ、リカちゃん人形にママレンジと夢のような景品でした。‥‥がしかし、そこは「テキ屋」まともに高価な景品などくれるわけありません。しかも「きちんと形に抜けたか否か」のジャッジは「テキ屋のおやじ」です(笑) 綺麗に抜けていても「見てみぃ?ココの角がすこぉ~し欠けてるだろ?ハイダメ!」これでは景品など貰えるわけがありません(笑)
皆、おもちゃ屋で見る「憧れの玩具」が欲しいが故に100円・200円と使う訳です。そして夕暮れ時に「ハイ!今日はここまで!おじさん、また明日来るからよろしくね!」と言い、去っていくが、翌日来たためしがない(笑)ユルユル・コンプライアンスとは言え、一応学校の校門。生徒の噂話で警察の見回りがあってはたまらないと判断していたのでしょうね
^^故に「一日荒稼ぎ」だったのでしょう。この様な「テキ屋商売」は粋なおじさんと触れ合う唯一の場所だった様にも感じます。勿論「テキヤ業」は良い事ばかりではありませんが、昨今の「デジタル詐欺犯罪」などの「生臭さ・薄汚さ」ではなく「テキヤ屋のオヤジ」は子供たちに様々なドラマを見せてくれて社会勉強を与えてくれた様にすら思います(笑)

        


いかがでしたでしょうか?書いている私自身がタイムスリップして目頭も熱くなっているので?(笑) おそらく昭和の ご同輩も一緒にタイムスリップして頂いている事と感じます^^
便利なネット通販も時代的には大いに活用したいと思いますが「月に一度、特別な日に家族でオシャレしてデパートで買物」も「幸せの充実作り」なのかもしれませんね。今の日本人に欠けているモノがそこには在るかもしれません^^大切にしたいモノです。
     
     この楽曲は物淋し気なメロディと由紀さおりさんの歌声が昭和の頃を思い出させてくれます


本日も訪問ありがとうございました。
また機会があれば「麗しき昭和の頃」書かさせて頂ければと思います。
ご感想など頂けると幸いです。