Southern Blog

  ~永遠の熱い胸騒ぎ~

~麗しき昭和の頃 ③~

こんにちわ!

「~麗しき昭和の時代 ②~」に引続き性懲りもなく③を書かせて頂こうと思います。
この様に、ご同輩の皆様と共に古き良き昭和の昔を振返えりますと、総じて良い経験や体験をしながら歳を重ねる事が出来た事の幸せに痛感する次第です。そして記事を書けば書く程に当時の「あんな事・こんな事」を次々と思い起こされ書き留めたい気持ちが高まります。今回も想入れが故、少々長文に成り気味ですが斜め読み・飛ばし読みでも構いませんので、ご同輩、諸先輩はもちろんの事、次世代の方々も最後までお付き合い頂ければ幸いです。
    


【電話ボックス】
世の中は、携帯電話・スマホが主流となり街中で「公衆電話」の姿は無くなりました。正確に言えば無い訳ではなく「全国でも数える程」と言う表現が適切でしょう。当時、各庶民家庭では「洋服を着た黒電話」が玄関にズッシリと座っていました。友人と長電話をしていると両親の攻撃的視線が突き刺さってました。そこで当時の少年少女は小銭を持ち「公衆電話」を求めて外出したわけです。この「公衆電話」王道は「タバコ屋の店先」にありました赤電話。100円玉なども使えず10円のみの赤電話。しかも目の前にはタバコ屋のおばあさんが店番。こんな所で友人や好きな人に電話など出来る訳もありません。そこで活躍したのが「電話ボックス」だ。黄色や緑色の公衆電話と共に110番119番連絡の為の小さなダイヤルBOXも設置され下の棚には厚さ5㎝は唯にあるであろう「電話帳」が置かれていました。現代で言えば「個人情報ダダ洩れ」(笑) それが当たり前でした。「電話ボックス」にて友人が彼女に電話しようもんなら狭い電話ボックスに3人・4人で入り「鮨詰め」状態になり会話内容を探ったものです(笑) 家電すら無くなって来ている昨今、この様な「甘酸っぱい?」貴重な想いでは今の学生たちには出来ないのだろうと思うと少々可哀そうに感じてしまう今日この頃。「青春は密(仙台育英野球部監督)なのです」(笑) おあとが宜しいようで^^

       


【電車・バス定期券】
以前の記事でも少々触れましたが現在の鉄道・バス関係は「スマホタッチアプリ」に統一化されどこでも「ピ!」ですよね。皆さんも記憶にあると思いますが、システムに慣れない少し前は改札を通り抜けるのに残高不足やら設定ミスにより「♬ピンポン・ピンポン♬」と鳴ってしまいゲートが閉じてしまうのではないかとドキドキしてましたが最近は凡その方が慣れて来た様で「堂々と当たり前」に使っている感じすらあります。思い起こせば昭和の頃の改札は人間的でした。まずは「切符・パンチ」。これぞ究極の「アナログチェック」(笑) そして「定期券」。3ヶ月、半年、1年毎に最寄り駅で「定期券」を購入しお気に入りの「定期ケース」に入れ改札を通る際に「チラッ」と見せる。通勤ラッシュ時・帰宅ラッシュ時など、駅員は見ているのか見ていないのか定かではない。「切符」は手渡しによる痕跡は残るが「定期チラ見せ」はある意味での「信頼関係」のみだけで成り立っていると考えます。
なので最近は「キセル」と言う言葉を聞かなくなりました。私、個人的には改札の駅員さんによる「切符切り」などは見ようによっては「技」だとも感じます。あの切符切り専用パンチを使い、リズミカルに数千・数万人一人一人の切符を数秒で裁いていくのは、ある意味では「特殊技能」と認めてあげても良い精度だと感じています。また、鉄道の長い歴史の中で切り落とされた切符の「切りくず」を積み上げるとどのくらいの高さになるのだろう?など余計な事すら考えてしまいます(笑) 電子改札のゲートに止められるのではなく駅員さんに「ちょっと!乗り越し精算してください!」と止められたい今日この頃です。^^

        


【遠足のおやつ】
主に小学校の遠足と言うと思い出されるのが「300円分のお菓子」を持って行って良いというルールがありました。前日に友人と駄菓子屋やスーパーなどに親に貰った300円を手に握り買い出しに行ったものです。大胆な友人は150円の「箱入り菓子」などを早々に選び残りの150円は使わずに溜めていたしっかり者も居ましたね(笑) それだけ庶民は裕福ではなく子供らにとっては、この300円は貴重で自由に使える大金だったのかもしれませんね^^
必ず誰しも選んでいた①カバヤ・ジューC②エンゼルパイ③アポロチョコ④チョコフレーク
⑤コーヒービート⑥森永チョコボール⑦チェルシー⑧サクマのドロップ缶⑨バタープリッツ➉チョコベビー…
こんな感じでしょうか?ご同輩ならピンと来るはず^^(画像はそれぞれ検索頂ければ幸いです)朝学校に集合しバスに乗り込み10時頃でしょうか?先生が「よ~し、飴かガムなら食べていいぞぉ」と言われ早々にお菓子を開封したものです。あれは「バス酔い」を防ぐための対策だったのでしょうね^^そして最後に「遠足のおやつ」について伝説の先生への質問。この答えは学校などの意向や父兄の意見などで様々な捉え方をしているようです。「バナナはお菓子のうちに入るのですか?」。一説では裕福な子供がデザートに当時ではまだ珍しい「バナナ」を用意し、それ以外に300円のお菓子を持ってくるなどの事象もあり「格差」の出ない事を意識した学校の意向とも言われています。当時、それだけ「甘いモノ」に日本人は貪欲で敏感だったのかもしれませんね。先生も食べたかったのかもしれませんね。(笑) しかし質問を直訳すれば「バナナは果物。お菓子ではない」これが正解なのでしょうね。何を真剣に語っているのか?と言う話ですが懐かしい話題ですね(笑)

         

【郵便・宅配モノ】
現代ではネットショッピングが当たり前になり早ければ翌日には目当ての商品が手元にに届く時代になりました。配達時点でも「ミトメ印」などいらず、「置き配」たるサービスで配達員と顔すら合わせません。昭和の頃は通常、「配達→3日以上→ミトメ→手渡」でした。しかも郵便も宅配もホボ「自転車」です、自転車の後部にやたらと大きいボックスに漁で使う様な「ネット」をつけて各家庭を回ってました。また「置き配」など失礼とされ、留守にすると隣の家が預かってくれていた記憶があります。まさに「向こう三軒両隣」でした。
同じく「新聞配達」も「牛乳配達」も自転車でした。冬の夜明け4時~5時頃でしょうか?自転車が運ぶ「牛乳瓶」のぶつかる音で目を覚まし黄色い「木箱」に届けられた凍り付くような、何とも言えない冷えた牛乳を口にしてから学校に行ったものです。同時にヨーグルトの配達もありました。このヨーグルトも「瓶」入りのヨーグルトで凡そ食べ終わった後の最後の一口まで大事に食べていました。スプーンとガラス瓶の奏でる「カチャ・カチッ・カチャ」と言う音は、昭和の子供の「何でも食べる」と言う心の声、言い方を変えれば「常に物足りない食欲」「甘いモノは何でも口にする」を表現していた音の様にも記憶します(笑)。あの冬の黄色い牛乳箱に入った冷たい凍るような牛乳と、蓋の裏まで舐めた瓶ヨーグルトの美味を現代の子供達は知らないのではないか?いや、正確には冷えた牛乳や瓶ヨーグルトの味は知っていても時代背景を含めた感情の中での「美味」は体験できていないであろう。

      


【洋 食】
言うまでもなく、私たちが少年少女であった昭和の食生活はお世辞にも豊かな食生活ではありませんでした。何かと言えば「煮物」どこでも出てくる「たくあん」単純明快な「ゆで卵」こんな感じのオンパレード。これらは今でも大好きで個人的には「煮物」などは食事には欠かせないモノです。しかしながら「毎晩」となると少々意味合いが異なり「コロナ症状」ではないですが、味が分からなくなります(笑) そんな少年少女の舌を驚かせたのは「オムライス」「ナポリタン」「ハンバーグ」「エビグラタン」ではなかったでしょうか?^^始めて連れて行ってもらった「洋食レストラン」のガラスウィンドウの中に展示されている「蠟メニューサンプル」の数々。今の精度の高い「蠟サンプル」ではなくいかにも「偽物」と言わんばかりの仕上がりサンプル^^ナポリタンを巻付けたフォークが10センチくらい宙に浮いていました (笑) それでも実物が運ばれてきて目の前にすると、嗅いだ事のない、たまらない良い匂いと銀食器たちの重たい音色に唯々、感動したものでした。いざ、口にした時の感動は言うまでもなく「こんな食べ物があったんだぁ」と言った素直な感動が心を走りました。また名称がイカしてた。日本語の「おでん」「煮物」「味噌汁」と言った縦文字ではなく横文字カタカナ。友人に「昨日はナポリタン食べたよ」と言うのがちょっと上から目線で気持が良いのと同時に「横文字の食べ物」を口に出す少しばかりの「照れくささ」があった事も覚えています。ややもすれば、当時は「外国人の名前ではないか?」という老人も居たのではないでしょうか?(笑) それだけ当時は「洋食文化」の入口で「年に何回かの家族の贅沢=町のレストランで洋食」という一家総出の大行事だったようにも記憶します。ファミレスが通常化の現在、それに近い感動は全くと言ってよいほど?無いのであろう。

    

さて、今回も幾つかの「昭和の麗しさ」を振り返ってみました。
「貧しい時代だった」と言えばそれまで「センスの無い時代だった」と言えばそれまで。
しかし、センスが無く貧しくても何にも代えられない「感動・変化」がありましたよね^^
何でもそろい、パソコンやスマホで事が済んでしまう現代の子供たちは可哀そうな思いすらあります。考えてみれば今の小学生辺りの親御さんもパソコン・スマホ時代育ち。これがいけないのではなく「残念」。何が残念なのか? 全てでは無いが我々昭和当時の子供が受けた「雑だが温かみのある」刺激を味わう事無く親になった事。隣のおっちゃんや、近所のおばちゃんの「温かみ」に触れられる機会が少なくなった事などが結果的に「閉鎖感」を呼び「無感動」「個人技」「1人遊び主義」の子供を作ってしまう傾向が残念でならない。
           
           ~最後に時代遅れの「私の昭和の一言」~
         
        子供は友人と外で暗くなるまで遊び、買い食いをせよ!
     そして取っ組合いの喧嘩をして他人(人)の痛みを体と心で覚えるべし!

        そんな子供達を大人(親)は責任をもって見守るべきだ。


     
                     この曲を聴くと様々な昭和の頃を思い出しませんか?^^大好きです!


また、昔を振り返りタイムスリップできそうな話題があれば記事にしてみたいと思います。その際は、ぜひ一読・ご感想などいただければ幸いでございます。



           本日も訪問ありがとうございました。